見出し画像

#1284 これまた合点のゆかぬ上の合点のゆかぬこと

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

お艶は、病気の余五郎の看病のために本家を訪れますが、使用人に断られます。しかしお艶は、来客のためにこの場から逃げようとする志村を呼び返し、再度看病の願いを奥方へ届けてくれるように頼みます。許しが出るか出ないかは請け合い致しかねると言って、志村は奥へと行きますが、やがて帰ってきて、人手が多いので折角だけどお断り申し上げる、子供がいて自身の家で手が必要な身、心配は御無用、お言葉のみで十分と言われます。早く帰れとの待遇にムラムラするのを辛抱して、しかし長居すればするほど腹が立ち、いつまでも待っていれば恥をかかされて笑われ者になるばかり。お艶は厚く礼を述べて、門を出ます。数えてみると、応接室に五時間余りも居ました……

夕飯頃の時刻悪[アシ]けれど、此儘[コノママ]には帰られぬ口惜[クチオシ]さに、今日の次第を轟夫婦に語り、前[ゼン]からの順序[ナリユキ]をも委[クワ]しう話して、不便[フビン]の身を歎[ナゲ]き、向後[コノノチ]の力[チカラ]と頼まばや、と轟の家を訪[オトズ]るれば、内儀は声を聞くより駈出[カケイ]で〻、今がお見舞のお帰懸[カエリガケ]か。お首尾は什麼[イカニ]、唯今[タダイマ]も良人[ヤド]とお噂いたして、お案じ申してをりました。首尾は、様子はと夫婦に問はれて、お艶は面目無さに差俯[サシウツム]けば、ほろりと堕つる涙を内儀は見尤[ミトガ]め、お艶様どうあそばしました。事情[ワケ]をお聞かせ下されと轟も詰寄[ツメヨ]りて、尋常[タダ]ならぬお艶の気色[ケシキ]に、夫婦の不審は霽[ハ]れざりけり。
お艶はいとヾ涙を催[モヨオ]して、面[オモテ]を掩[オオ]ふ手帕[ハンケチ]の縫[ヌイ]は薄[ススキ]に露[ツユ]をおきて、泣かるゝは何故[ナニユエ]ぞや。憂きも悲しきも夫婦のものに語りたまへ。及ばずながらお力[チカラ]ともなるべし、と頼もしき轟の辞[コトバ]に縋[スガ]り、口惜[クヤシ]い目に遭ひました、とお艶は身を顫[フル]はして忍泣[シノビナ]きするを、なほ慰めて訊[タズ]ぬれば、今日の始末を遺[オチ]無く語れども、夫婦は驚くのみにて信[マコト]とせず。それより三度の居留守の事、興津から迎ひの事までも語れば、いよ/\信[マコト]とせず。
彼[アノ]奥様に限[カギリ]ては、其様[ソノヨウ]に御了簡[ゴリョウケン]狭きお方にあらず。何[ナニ]ぞの事の行違[ユキチガ]ひからと、段々様子を聞くに、同胞[キョウダイ]も同じやうにせる紅梅の挙動[ソブリ]に、近頃合点のゆかぬ廉[カド]を見出したりと謂ふを、それぞ聞事[キキゴト]と糺[タダ]せば、御前[ゴゼン]の御病気は疾[トク]より知れる理[ハズ]なるに、久しくお音信[タヨリ]の無かりしを、新橋にて遊ばるゝ故[ユエ]、と我を欺[アザム]きて自己[オノレ]のみは、日毎[ヒゴト]本家へ行[ユ]きしに疑ひ無けれど、なんと思うて然[サ]は此身[コノミ]の仇[アダ]となることを巧みけるやら。血をこそ分けね、紅梅とは他人ならぬ間[ナカ]なれば、嬉戯[タワウレ]にも為[ス]べしとは想はれぬ事を、之が又[マタ]合点のゆかぬ上の合点のゆかぬこと、とお艶の謂ふことを、轟夫婦はどうやら合点ゆかざりけり。

というところで、「後編その三十四」が終了します!

さっそく「後編その三十五」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,797件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?