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#1261 聞いて極楽、その身の地獄、私の気も知らないでそんな事を!

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

六月のなかば、神戸の分店で揉め事が起こり、余五郎はその地に赴きます。今夏は家族で興津に海水浴に行くつもりが、肝心の人が留守となり、この話は立ち消えになるが、お末が余五郎のお帰りを待つまでなしと思い立ち、明日の発足と定まります。さいわい紅梅も暇の身となり、ぜひお伴にと仰せつけられます。明日は暗いうちの一番汽車でも、今夜の最終汽車でも一刻も早く参りとう存じますと、紅梅は十三のお末よりも勇み立ち、お麻に笑われ、いろいろ支度もあれば心急かされて暇乞いしますが、まっすぐに帰らず、お艶の家に立ち寄ります。思いがけぬお出でにお艶は喜びますが、紅梅は気のない顔。今朝、本家から使いの者来て、何事かと御用を窺いに行くと、余五郎の留守を好機に興津の別荘で保養にと私を連れて行くというありがた迷惑。イヤと言えばご立腹、その返しの恐ろしさに、ありがとう存じますと明日の朝お供して興津に行くことになるが、窮屈の思いするは保養よりも寿命の毒、見込まれたが不運と諦めて、行きたくないのは山々だが、逃れられぬ義理に責められる切なさを思いやりたまえとお艶に言います。もし興津に遊びに来てみよと奥様(お麻)がわざわざ迎いを寄こしても、必ずそのときはお出掛け御無用にあそばし。今日もあなたの噂して、あなたの息子が邪魔になりて、あなたまで憎いような言葉の端々。それを聞いてお艶は、よく言ってくれました。奥様の憎しみかかる心苦しさ。できることなら、割って入ってお目にかけたき私の胸の内。どうすればこの身の証明を立つことができるのか。たとい奥様がどのように憎まるるとも、余五郎のご機嫌よければ、心遣いしたまうことあらず。

其内[ソノウチ]折[オリ]を見合はせ、私[ワタクシ]から篤[トク]と奥方[オクガタ]の御合点[ゴガテン]ゆくやうに御話し申して、御苦労の無いやうにして進ぜましよ。それまでは憖[ナマジ]ひ毛を吹いて疵[キズ]を求むるやうな事をせうより、今まで通り手を着けず、そつとして措[オ]いたが勝[マシ]と、お為転[タメゴカ]しにされてお艶は深く喜び、何分[ナニブン]貴嬢[アナタ]をお頼みまをしました。御辞[オコトバ]に従うて、もし興津からお人など遣はさるゝとも、適宜[ヨキヨウ]に御断り申して、忘れても出て行[ユ]くことではござりませぬ。随分御機嫌よう。一日も早く御帰りを楽[タノシ]みに待ちまする。奥方[オクガタ]の手前遠慮あれば、わざと此方[コナタ]からお手紙はあげませねど、貴嬢[アナタ]からは折々の音信[タヨリ]を聞かせたまへ。羨ましうていふではなけれど、不束[フツツカ]な私[ワタクシ]と違ひ、奥方[オクガタ]に愛[イト]しがられて、何処[イズク]へ行[ユ]かるゝにも誘[サソ]はるゝ貴嬢[アナタ]の身に、一日なりともなつて見たらば楽[タノシ]かるべしといへば、紅梅は呆れ顔、お望みならば此[コノ]株[カブ]は何方[ドナタ]へでもお譲り申しまする。聞いて極楽、其[ソノ]身の地獄、我の気も知らでそんな事をとは、聞かせたき人あり、こゝに蓄音機の無きこそ恨[ウラミ]なれ。

というところで、「後編その二十四」が終了します!

さっそく「後編その二十五」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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