見出し画像

#635 ここが問題の挿絵の場面か!

それでは今日も山田美妙の『蝴蝶』を読んでいきたいと思います。

「その二」は、壇ノ浦の戦いの最中、海に落ちた蝴蝶が、浜に流れ着いたところから始まります。

濡果[ヌレハ]てた衣物[キモノ]を半ば身に纏[マト]って、四方[アタリ]には人一人もいぬながら猶[ナオ]何処やら吾[ワレ]と吾身[ワガミ]へ対するとでも言うべき羞[ハジ]を帯びて、風の囁[ササヤ]きにも、鳥の羽音にも耳を側[ソバダ]てる蝴蝶の姿の奥床[オクユカ]しさ、うつくしさ、五尺の黒髪は舐め乱した浪の手柄を見せ顔に同じく浪打って多情にも朝桜の肌を掠[カス]め、眉は目蓋[マブタ]と共に重く垂れて其処[ソコ]に薄命の怨[ウラ]みを宿しています。水と土とをば「自然」が巧[タクミ]に取合[トリア]わせた一幅の活きた画の中にまた美術の神髄とも言うべき曲線でうまく組立てられた裸体の美人がいるのですものを。あゝ高尚。真の「美」は即ち真の「高尚」です。

真の美は、真の高尚…。ここらへんは、坪内逍遥の『小説神髄』の影響でしょうか…。

見亘[ミワタ]せば浦つづきは潮曇[シオグモ]りに掻暮[カキク]れて、その懐かしい元の御座船[ゴザブネ]の影さえ見えず、幾百かの親しい人の魂をば夕暮のモヤが秘め鎖[トザ]しているかと思われるばかり、すべて目の触るゝその先の方は茫漠として惨[イタ]ましく見える塩梅、いとど心痛の源です、否[イナ]、「源」というのも残念な。
「そも如何[イカ]にすべき。如何にならせたまいしやらん、事のう御幸[ミユキ]ましましつるよ。覚束[オボツカ]な。さるを猶この身だに斯[カ]くて御[オ]ン跡[アト]をも失いつ﹆いずくに頼[ヨ]りて便りを得ん。苫屋の外[ホカ]はなきものを、もしは敵に見認[ミト]められなば、逃れ来し心尽くしも泡なれや。人目を避けて山路より御幸[ミユキ]ますとや聞きぬるに……されば伯耆[ホウキ]や過ぎさせたまわむ。よし、さらば、如何にもして御跡[オンアト]を慕いまいらせん。久しく時を移すは甲斐なし。命めでとうてかく蘇りつ﹆疲れはあるとも何ならん。いでや苫屋に哀れを請[コ]いて蜑[アマ]の衣[コロモ]だに乞い受けてん」。

伯耆は、現在の鳥取県西部のこと、「蜑の衣」は、海女が着る服のことです。

雄々[オオ]しくて岐[キッ]と思案を定めましたが、さて其処が乙女のあどけなさ、まだ裸体を人に見られる恥かしさに何の思慮もなく、更にやゝ暫[シバラ]くは松の根に腰を掛けているその処へ聞えるのは兼ねて幾度も聞馴[キキナ]れた鎧[ヨロイ]の袖の嚙合[カミア]う声です。
驚いて見返って更に一入[ヒトシオ]、さて穴へも入りたい程になりました。鎧の音は一人の武者で、武者、しかもその人は兼て蝴蝶が陣中で名を知って見覚えている同じ平家の旗下[ハタモト]の二郎春風という人で、またしかもその人は蝴蝶が常から……おゝ、つれない命……人知れずその為に恋衣[コイゴロモ]を縫っていた者です。

ここが問題となった挿絵の場面ですね!詳しくは#505を読んでみてください!

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?