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#505 挿絵のほうが注目されちゃった「です・ます」調・言文一致体小説『胡蝶』

山田美妙には、不本意な形で注目されちゃった小説があります。

それは1889(明治22)年1月『国民之友』第37号の付録に載った、『胡蝶』という小説です。『国民之友』は、徳富蘇峰(1863-1957)が創刊した月刊総合雑誌で、年に2回の文学付録を併載していました。この『胡蝶』という小説は、「です・ます」調の言文一致体で書かれた小説です!なのですが、当時は、この文体の新しい試みよりも、小説に付された挿絵のほうが大きな話題を呼ぶのです。

というのも、この挿絵が、渡辺省亭[セイテイ](1852-1918)が描いた、裸体画だったのです!

現在からすると、なんて事はない裸体画なのですが、当時は、森鷗外(1862-1922)が擁護し、尾崎紅葉(1868-1903)が否定し、いわゆる「裸胡蝶論争」として、作品の内容とは別のところで、評価を二分するのです。

『胡蝶』は、美妙が三日かけて、ひと息に書き上げた小説です。

「山田美妙」で検索すると、「言文一致」「です・ます調」などのキーワードが出てきますが、美妙が「です・ます調」でもって作品を書いたのは、作家生活約25年の間で、1888年から1892年までの4年間だけです。『空行く月』(1888年3月-1889年1月)は「です・ます」調の最初の作品、『兜菊』(1891年11月-1892年9月)は「です・ます」調の最後の作品、そして、その間に書かれた『胡蝶』と『いちご姫』(1889年7月-1890年5月)が、彼の「です・ます」調の代表作です。

田山花袋(1872-1930)は、『東京の三十年』のなかで、次のように書いています。

あの女神のペンを持って立っている黄がかった表紙、殊に忘れられないのは、その最初の春季付録に出た山田美妙斎の裸体の絵を口絵にした小説であった。何という題だか忘れたが、安徳天皇の埋れた事蹟を題材にしたもので、こういうVirgin Soilが日本の文学にあるのかと私を驚嘆させた。それに、同じ号に、坪内博士の『細君』という小説があった。

『胡蝶』には、こんな前書きが載っています。

国民の友の附録にするとてお望みがあったため歴史的小説のみじかい物を書きました。が、実の処これこそ主人が精一杯に作った作で決していつもの甘酒ではありません。匆忙[ソウボウ]の中の作だの何だのと遁辞をば言いません、ただこれが今の主人の実の腕で、善悪に関せず世間の批評をば十分に頂戴します。猶この後には春のや、思軒の両「しんうち」が扣[ヒカ]えて居ります。それ「比較は物の価格を定める」﹆大牢[タイロウ]の前の食散[クイチ]らしは或[アルイ]は舌鼓[シタツヅミ]の養生にもなりましょうか。一座早く出た無礼の寓意(も凄まじい)は実にこゝに在るのです。

「春のや」は坪内逍遥(1859-1935)の別号です。「思軒」は森田思軒(1861-1897)のことです。『国民之友』第37号付録には、美妙の『胡蝶』とともに、坪内逍遥の『細君』、森田思軒の『探偵ユーベル(第一回)』が併録されていました。

田山花袋に、小説の挿絵のインパクトで覚えられた、なんとも切ない小説『胡蝶』の前書きの続きを読んでいきたいのですが…

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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