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#1245 伝内、大いに憤る

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

余五郎はお艶の妊娠の嬉しさに紅梅にさえ疎くなり、産婦の見舞い余念なく、お才などはきつい見限り、寄りも着かないこのごろ……。そろそろよい時節だと、花川戸にいる母親のところへご機嫌うかがいに行こうとしますが、伝内という見張りがいるため、従者を連れずに出ることは叶いません。お仲を邪魔そうな顔もせずに連れて、市村座へと母親を誘います。10時の開場なのに、10時半を過ぎていると母親は支度しながら騒ぎ立て、落ち着いているお才の煙草盆を片付けて猿若町へと飛ばします。

お才の楽屋は愕[オドロ]くべし。かねて合図の文[フミ]を送りて、指名[ナザシ]の茶屋に菊住を忍ばせ、幕開[マクアキ]の囃子[ハヤシ]に二人はそヾろ心[ゴコロ]になるを、おのれは茶屋の女房とゆる/\話しながら、一足先[ヒトアシサキ]に場所へ逐遣[オイヤ]りて、人気[ヒトケ]無き裏座敷に、其[ソノ]幕の半分ほど菊住とせはしなく物語[モノガタ]りてから出て行[ユ]き、またもや長き幕の始め頃より抜出[ヌケダ]して、思ふま〻の首尾せしことは、舞台に魂を奪はれて、他事[タジ]には人心地[ヒトゴコチ]無き二人の、少しも知[シラ]ぬ放心[ウツツナ]さを思へば、掏摸[スリ]の大胆なる仕事も然矣[イカサマ]出来さうなものなり。

お才もほんとに懲りない女性ですねw

世界を変へて此処[ココ]に楽[タノシ]むこと〻は、思ひよらざる伝内は、また出をつたな。大川端[オオカワバタ]に三十四五の男の母親はない理[ハズ]。今度露[アラ]はれたら首は台を飛[トン]でしまふぞ、とまた袖岡まで探りに出懸[デカケ]しに、門外[オモテ]に車も無ければ、裏に然[サ]る気勢[ケハイ]はなほあらず。何処へ陰[カク]れたか、車夫を糺[タダ]せば直[ジキ]に知れること〻、帰宅[カエリ]は夜[ヨ]に入[イ]りたるほどいよ/\怪しさに、先[マズ]お仲を素引[スビ]けども、芝居のことは弗[フツ]と言はず。車夫に尋ぬれば摑[ツカ]ませられし物の義理に、花川戸へとばかり。
伝内大いに憤り、そんな訳は無いと独り力[リキ]めども、手証[テショウ]あるにあらねば奈何[ドウ]もならず。此度[コノタビ]に限りて見逭[ミノガ]すとも、いつまでか其分[ソノブン]に措[オ]くべきと、袖岡事件破裂以来、厳しき用心おのづから目顔[メカオ]に表はれて、此[コノ]人非人[ヒトデナシ]の淫婦[イタズラモノ]め、憎し/\の念[ネン]内[ウチ]に在れば、主[シュウ]として仕ふるも屑[イサギヨ]からず。それにつれて行儀も旧時[ムカシ]ほどにはあらざる端々[ハシバシ]の、此方[コナタ]にも油断せぬお才の眼に着きて、あの事ありてより格別に御前[ゴゼン]の厳命[ゲンメイ]ありて新関[シンセキ]をしつらへ、警固[カタメ]をするも役目なれば、憎むべきにはあらねど、以前に変[カワ]りて無礼[ナメ]すぎたる挙動[シウチ]は、夜番[ヨバン]の分[ブン]を知らぬ利いた風[フウ]の老爺[オヤジ]めが。

軽んじている・小馬鹿にしている時の「なめている」って言い方はいつから使われているんでしょうね。

お才の不始末のあらざりし前[ゼン]は、陰目附[カクシメツケ]とはいふものゝ、此[コノ]家[イエ]に扶持されて、用人格[ヨウニンカク]でゐれば、旧[モト]は芸者でも今は旦那様、只管[ヒタスラ]御主人と仰[アオ]ぎ、忠義を尽[ツク]して仕へければ、面貌[ツラガマエ]こそ恐[コワ]けれ、憎気[ニクゲ]無き老爺[オヤジ]の、酒だに飲ませてやれば、昔話の兵法[ヒョウホウ]自慢、人は聞いても、聞かいでも、面白さうにしやべるを一芸にして、不器用でこそあれ、頼む用は何なりともする処が可愛[カワイ]さに、お才も随分目を懸けしが、近頃はもらふものに独り極[キ]めたる、折々の寝酒[ネザケ]もくれず。つひした事に口ぎたなく小言[コゴト]いふなど、今までに打[ウッ]て変りて、稜々[カドカド]しく遇[アツカ]はるゝより、伝内はいよ/\面白からず。何かにつけて抗[サカラ]へば、お才は腹立つほど伝内は癪[シャク]にさはり、此[コノ]間[ナカ]三を以て一を除[ジョ]するに同じ。

1872(明治5)年の「小学教則」で、分数は下等小学(修業年限4年) の教授内容となり、洋算の算術教科書として、数学者であり地誌学者であった塚本明毅[アキカタ](1833-1885)の『筆算訓蒙』(1869)が用いられます。この教科書では「分数」に関して次のような説明があります。

凡除法に於て、其實数既に除数よりも小にして、除尽し難き者あり、若これを略し去て、加乗の法を行ふ時は……其薮遂に還原すへからす、故に是を存して、分数となし、以て加減乗除の法に施さざるを得す。是分数の因て起る所なり、其分数を命するに分母分子の名あり、分母は即除数にして、分子は其除尽し難き数なり、三を以て一を除するに、是を称して三分の一といふ

というところで、「後編その十七」が終了します!

さっそく「後編その十八」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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