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#1318 誠にこれは古来より平常の人間の大いなる誤りでした!

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

須弥山はどこにあると説法しても、地球儀で遊ぶ少年には荒唐であると笑われ、古代中国の尭と舜の世を講釈しても、進化論をふところに入れた書生には野蛮であると賤しまれます。「卑劣」の心に「傲慢」という鎧を身に着け、仏教の経典は歌舞伎ほど面白からず、聖書の黙示録は『アラビアンナイト』にも劣っていると頭からこなす世の中。学問は進んでいるが、見れば見るほど人情は浅ましい。檄文よりも電信が速く、利剣よりも舌鋒が鋭い今日、アメリカのニューヨークに「しんじあ」という男がいます。額ひろく鼻とおり能弁の唇うるわしく、ようやく30を超えて、金持ちでもなければ貧乏でもない。父母は亡くなったが、ボストン大学で神学を修め、風俗の乱れをいたみ、人情の軽薄を悲しみ、道徳の衰退を正そうと、25の時、警醒演説会を起こし、アメリカの南部や西部をめぐり、舌の先の切れぬばかりに演説し、正しい道を教え、感動しない者はなく、学者は筆でもって助け、富者は金銭を寄せて助けます。今日も演説の日で、町の公堂の男女は耳をそばだてて聞いています。しんじあによると、動物には利害の観念があり、この観念には「肉の利害」と「心の利害」があると言います。「飢えを苦しんで食をなし渇きを病んで水を呑むのは、鳥獣が肉についての利害を知ってするところです。寒さを防ぐ衣服を作り、雨を忍ぶ家を建てるなどは、人間が肉について利害の観念を有している結果です。善をよみ悪をにくむは、心の利害の観念を有している作用です。肉についての利害の観念は鳥獣にもあるので、人類の目的が肉の上にのみ属するものであれば他の動物よりかえって不幸といわなければなりません。人類が他の動物より不幸ではないのは、肉と心について二つながらの利害を知る故です。智識の範囲が広い故です。しかしながら人類の歴史を一覧すれば、残念ながら惨憺たるものといわねばなりません。はたして心の利害の観念に従って、愛を厚くし不仁を憎む人民はなにほどありましたろうか。肉の利害の観念に従って、乳を飲み毒を捨てる人民はなにほどありましたろうか。ああ世界の歴史は罪悪の記録だと嘆く人がいるのは、悲しむべき不祥のことではありませんか」。さらに演説はつづきます。

満堂[マンドウ]の諸君よ、先にも申せしごとく肉に就[ツ]いての利害の観念に逆[サカラ]へば、必らず肉に痛苦を受[ウ]くるごとく、心に就[ツ]いての利害の観念に逆[サカ]らひましたらば、又同じ比例に心に痛苦を受けますまいか。其[ソノ]肉を失[ウシナ]ふごとく其[ソノ]心を失ひますまいか。否[イヤ]合[アワ]せて其[ソノ]肉をも失はぬでせうか。静夜[セイヤ]に独り坐して恐るゝ所ありませんでせうか。青天[セイテン]に人と對して慚[ハ]づる所ありませんでせうか。また此の観念を殊[コト]に人類に附與[フヨ]したる神に對して恐れ愧[ハ]づる所ありませんでせうか。然るに世界に此の耻[ハジ]を忍び、此の恐れを掩[オオ]ふて罪悪をなすものゝ絶えざるは、蓋し肉の利害にのみ注意して、心の利害に注意せぬからです。誠にこれは古来より平常[ツネ]の人間の大[オオイ]なる誤謬[アヤマリ]でした。私が幼い時、彼[カ]のうをるたアすこッとが、人類の進歩を童子に諭[サト]すに、燕巣[ツバメノス]を例に引いたのを読んだ事がありました。

スコットランドの小説家ウォルター・スコット(1771-1832)は、このブログで何度も登場しますね。それだけ明治の小説家たちにも多大な影響を与えたんでしょうね。

眞[シン]に燕の巣は、太古も今日[コンニチ]も泥と塵とで作るのですが、人類の家は穴居[ケッキョ]より藁葺[ワラブキ]に進み、それより木造煉瓦作りと段々進んで水晶宮の如き美しき者になりましたが、誠に心の上の進歩を見ますれば、禁菓[キンカ]を食ひし太古のアダムイブと、今日[コンニチ]の男女[ナンニョ]と、大[オオイ]な差がありませうか。今日[コンニチ]もなほ人類の霊魂の巣は、泥と塵とではありますまいか。

ということで、しんじあの演説の続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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