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#1321 はなはだ唐突のことですが……

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

恋は盲目の天女とは良い例えで、この情の趣きの美しくして哀れ深く、尊くして面白いのは、霞の中で乙女が遊ぶごとく、苔なめらかなる架け橋を盲者が辿るごとし。恋とは偽りのない心の白絹に描く模様の色々、とても理屈で推せないのが人情。

道徳堅固のしんじあとても十字架に魂の入りたる者にもあらず。柔[ヤワラ]かく温かき春風吹かば、萌出[モエイデ]ん戀草[コイグサ]の芽の胸になき事やあるべき。四年程前の頃ぶんせいむに招かれて、其[ソノ]製鐵場[セイテツジョウ]の職工の爲に演説せし折、始[ハジメ]てるびなに逢ひて、さても美しき乙女やと見しを根にして、其後[ソノノチ]屡々[シバシバ]往来しつ、馴[ナ]るゝに付け、共々に昔今[ムカシイマ]を語る話の端々[ハシバシ]には、志さへ正しく、多く得難き貴女[キジョ]と知るからにゆかしさ愈々[イヨイヨ]忍ばれて、竊[ヒソカ]に獨[ヒト]り惱[ナヤ]みしが、此方[コナタ]に心ありそ海の深き思[オモイ]を貯[タクワウ]れば、彼方[カナタ]も岸の姫松の枝の靡[ナビ]かんそぶりさへ見すれど、流石世の常の男にもあらざれば、己[オノレ]を慎[ツツシ]み名ををしみ、我に僅[ワズカ]に三四萬計[バカ]りの財産にて、當世無比[トウセイムヒ]の富家[フカ]の娘と縁など組まば、世の人のさがな口[グチ]に、慾の爲なんど云はれんもくるしく、或は不幸にして自ら耻[ハジ]と誹[ソシリ]を招く道理也[ナリ]、と諦めても且つあやにくに諦めきれず、切なき月日をおくり来[キ]ぬ。

「生憎[アヤニク]なり」とは、「都合が悪い」など予想・期待に反して好ましくないことが起こったときに用いる語です。

今しも演説會より帰るさに、後[アト]より呼び止められて、静[シズカ]にふり向き、
「じやくそん君でしたか。」
「少しお話を仕[シ]たうございます。」
「それなら宅[タク]へお出[イデ]なさいまし。此の馬車で御同道しませう。」
と二人共に馬車にのれば、じやくそん頻[シキ]りに鞭をあげて連々打[ツヅケウチ]にしながら、
「遅い馬です、あゝ遅い馬です。」
「人の思ふ程に馳せる馬はありますまい。」
などゝ二ツ三ツ話すうちに家に来[キタ]り着きければ、直[タダチ]に客室に伴[トモナ]ひ入[イ]りぬ。室[シツ]廣[ヒロ]からず、狭からず、別に飾りはなけれど白壁[シロカベ]清く明り取る窓の硝子の曇りなきに主[アルジ]の胸も知られたり。眞中[タダナカ]に据ゑたる卓子[テエブル]の向[ムコ]ふの椅子に、しんじあの坐るを待ちて、
「甚だ唐突の事ですが。」
と云ひ掛けて口を閉ぢたるあやしさ。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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