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#1325 第六回は、しんじあが独り身である理由を説明するところから……

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

今日から「第六回」に入ります!それでは早速読んでいきましょう!

第六回 芳野[ヨシノ]にて櫻[サクラ]見せうぞ檜笠[ヒノキガサ]
麻を衣[キ]て耜[スキ]をとらねば淵明[エンメイ]も俗、袈裟を切り刀を捨てゝ文學[モンガク]の悟り。

眞珠[シンジュ]取りは海に苦しみ、金堀[カネホリ]は山に疲るゝ、とすました無欲気[ムヨクゲ]の老人も、孫を歓ばせんには、雷おこし一袋[ヒトフクロ]、観音詣[カンノンモウデ]の帰るさにはづまずばならず。政事家もうるさし、軍人も危[アヤウ]し、とひねッた無膽力[ムタンリョク]の詞客[シカク]も、文[ブン]を売らんとせば、東西萬巻[マンガン]の書を嚙みて碎[クダ]きて呑込みて、自己[オノレ]が趣向の調合に、桑の葉を絲[イト]と吐かねばならぬなるべし。

絹は蚕が繭を作るために自分の口から吐き出す繊維ですが、その主食は桑の葉です。

似非[エセ]見識の目鏡[メガネ]から覗けば、悉皆[シッカイ]、凡夫[ボンプ]の生活は、己[オノ]が臑[スネ]を試して己[オノ]が刀のきれ味誇る様[ヨウ]な者ながら、片手捨てずば左文字[サモジ]も名匠とは言はれまじ。何に付けてもこれぢや者、堪忍こそ大事なれ。しんじあは、神の園[ソノ]の羊ほどおとなしき男、たはけき獺[オソ]の戀[コイ]は爲[ナ]さねど、浅からで思ひは深き山の井の、汲めども知れぬ仇人[アダビト]の心の奥を計りかね、眞如の月も煩悩の迷ひの雲に掩[オオ]はれて、胸のうやむや関止[セキトム]るよすがもなくや小男鹿[サオシカ]の、聲を不違背實相[フイハイジッソウ]と聞きしはむかし今はまた、物のあはれのしみ/″\と、身にしみ渡る秋の風、吹きひるがへす葛の葉の、うらみはせねど生憎に、招くが如き女郎花[オミナエシ]、折り度[タ]くもあり、折りたくもなき名[ナ]流れて駒の背を、我[ワレ]落ちにきと、語られなば、小田の案山子[カカシ]の身の果[ハテ]の、口惜[クヤシ]と後[ノチ]に悔[ク]ゆるとも引[ヒキ]てかへらぬ手束弓[タツカユミ]、弦[イト]の断[キ]れたる如くなりて甲斐無く獨世[ヒトリヨ]をや経[ヘ]ん。

かわうそは互いに食い合うまで戯れるという俗説から、男女の愛の戯れのことを「獺[オソ]の戯[タワ]れ」といいます。

「小男鹿」は、角に枝がない小形のオスの鹿のことです。

『古今和歌集』には「秋風の 吹き裏返す くずの葉の うらみてもなほ うらめしきかな」という平貞文(?-923)の歌があります。秋風が吹いて裏返す葛の葉、それが次々と「裏見」せるように、恨んでもまだ恨めしいことかな、という意味です。

思ひくるしき綱手縄[ツナデナワ]、千尋[チヒロ]の海の蜑小舟[アマオブネ]、こがれよるぞといふも憂[ウ]し、云はぬもつらし、思ふとも、君はしらじな沸きかへり、岩もる水の、色[イロ]し見えねば、などと喞[カコ]ち顔。

「蜑小舟」は、海人の乗る小舟のことです。

『源氏物語』第二十四帖「胡蝶」には、「思ふとも 君は知らじな わきかへり 岩漏る水に 色し見えねば」という歌があります。私がこんなにお慕いしていることを、あなたはご存知ないでしょう。湧きかえって溢れる水には色がないように、湧きかえる熱い思いも外からは分かりませんから、という意味です。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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