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#1324 到底不安不定ではいけません!よく御決断なさい!

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

恋は盲目の天女とは良い例えで、この情の趣きの美しくして哀れ深く、尊くして面白いのは、霞の中で乙女が遊ぶごとく、苔なめらかなる架け橋を盲者が辿るごとし。恋とは偽りのない心の白絹に描く模様の色々、とても理屈で推せないのが人情。四年程前、しんじあはぶんせいむに招かれて、ぶんせいむの製鉄所で演説したとき、はじめてるびな嬢に会い、美しい乙女だと思い、その後しばしば往来し、慣れるにつけ、ともに昔や今を語り、得難き貴女だとわかりますが、自分はわずかな財産であり、富家の娘と縁など組めば、世の人から欲のためと言われるだろうと苦しく、切ない月日を送ります。その日も演説会でしたが、帰りにじゃくそん君に呼び止められ、馬車に乗って、しんじあの自宅に向かいます。客室に伴い、しんじあが座るのを待ち、じゃくそんは「はなはだ唐突のことですが……」と言います。しんじあは答えます。「何です?」「聖書のことについてご質問を致したくて……アダムもイヴも神が作りなさったものでしょう?それならアダムとイヴは互いに敬し愛し、道の友となり助けるのは当然ですか?」「たしかにその通りです」「アダムは男女の始まりですから、こんにちの子孫の男女も同じ道理ですか?」「さようです」「しんじあ君は男子です。君が教えて下さった三段推理式に照らすなら、君は妻を迎えたまえ!君は娶らなくてはなりません!」。さらに、じゃくそんは続けます。「僕が今、君にすすめているのはるびな令嬢です」「さては新聞の広告……」「全く事実です。ですから、君に勧めに参ったのです。よろしく決断してぶんせいむ家へ申し込みなさい」。しんじあは答えます。

「君の親切は謝する處[トコロ]ですが。」
「ですが、……ですがといふ語[コトバ]は、怯懦[キョダ]の老人と細巧[サイコウ]の辨者[ベンシャ]の常に用ゐるもので、猛将潔士[モウショウケッシ]の唇から出る事はありません、其様[ソノヨウ]な卑気怯気[ヒキキョキ]の分子から成ッた言葉は云ひ給ふな。あッ、僕はまだ云はねばなりません、……一柱[ヒトバシラ]の大理石は美しくても穹門[アーチ]には成らず、二股絲[フタコ]の縄は細くても舟が繫げるとは、孤立の弱く相助[ソウジョ]の強いのをいふのです。此の故に希世[キセイ]の傑士[ケッシ]びいこんすふゐるど、抜群の碩学どくとるじよんそん等[ナド]は、年長[トシカサ]の婦人をさへ辭[イナ]みませんでしたらう。否[イナ]僕がぢすれりいとじよんそんを以て譬[タトエ]をなすは暫くいはず、神はあだむといゔを作つて君に示したといふことをもつて言葉の終[オワ]りとしましやう。これ全く僕の老婆心です。けれども不當[フトウ]の理[リ]でもありますまい、然[シカ]し僕は僕の智慧[チエ]の水が少[スクナ]くて、感情の火が強いといふことを、君の平生の教へで知つて居ますから、決して君を強[シ]ひません。噫[アア]僕の本来の性質のまゝならば、君の手を把[ト]り君の背を推し、強迫しても此の好姻縁[コウインエン]を結ばするものを、……噫[アア]、々[アア]、今は君の不安不定[フアンフジョウ]の料簡に任すのか。けれども到底不安不定ではいけません。よく御決断なさい。失敬左様ならば。」
と言捨[イイス]てゝ其儘[ソノママ]ずつと立帰[タチカエ]るは、我家[ワガヤ]に商買用[ショウバイヨウ]でもあるなるべし。

「びいこんすふゐるど」は、そのあと「ぢすれりい」と言っているところから、初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(1804–1881)のことかと思われます。彼の妻メアリー・アン・ディズレーリ(1792–1872)は12歳年上でした。

「どくとるじよんそん」は、イギリスの文学者のサミュエル・ジョンソン(1709-1784)のことかと思われます。文壇の大御所だったことから、親しみを込めて「ジョンソン博士(ドクター・ジョンソン)」と呼ばれました。彼の妻エリザベス・ジョンソン(1689-1752)は20歳年上でした。

というところで「第五回」が終了します。

さっそく「第六回」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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