#1324 到底不安不定ではいけません!よく御決断なさい!
それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。
恋は盲目の天女とは良い例えで、この情の趣きの美しくして哀れ深く、尊くして面白いのは、霞の中で乙女が遊ぶごとく、苔なめらかなる架け橋を盲者が辿るごとし。恋とは偽りのない心の白絹に描く模様の色々、とても理屈で推せないのが人情。四年程前、しんじあはぶんせいむに招かれて、ぶんせいむの製鉄所で演説したとき、はじめてるびな嬢に会い、美しい乙女だと思い、その後しばしば往来し、慣れるにつけ、ともに昔や今を語り、得難き貴女だとわかりますが、自分はわずかな財産であり、富家の娘と縁など組めば、世の人から欲のためと言われるだろうと苦しく、切ない月日を送ります。その日も演説会でしたが、帰りにじゃくそん君に呼び止められ、馬車に乗って、しんじあの自宅に向かいます。客室に伴い、しんじあが座るのを待ち、じゃくそんは「はなはだ唐突のことですが……」と言います。しんじあは答えます。「何です?」「聖書のことについてご質問を致したくて……アダムもイヴも神が作りなさったものでしょう?それならアダムとイヴは互いに敬し愛し、道の友となり助けるのは当然ですか?」「たしかにその通りです」「アダムは男女の始まりですから、こんにちの子孫の男女も同じ道理ですか?」「さようです」「しんじあ君は男子です。君が教えて下さった三段推理式に照らすなら、君は妻を迎えたまえ!君は娶らなくてはなりません!」。さらに、じゃくそんは続けます。「僕が今、君にすすめているのはるびな令嬢です」「さては新聞の広告……」「全く事実です。ですから、君に勧めに参ったのです。よろしく決断してぶんせいむ家へ申し込みなさい」。しんじあは答えます。
「びいこんすふゐるど」は、そのあと「ぢすれりい」と言っているところから、初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(1804–1881)のことかと思われます。彼の妻メアリー・アン・ディズレーリ(1792–1872)は12歳年上でした。
「どくとるじよんそん」は、イギリスの文学者のサミュエル・ジョンソン(1709-1784)のことかと思われます。文壇の大御所だったことから、親しみを込めて「ジョンソン博士(ドクター・ジョンソン)」と呼ばれました。彼の妻エリザベス・ジョンソン(1689-1752)は20歳年上でした。
というところで「第五回」が終了します。
さっそく「第六回」へと移りたいのですが……
それはまた明日、近代でお会いしましょう!
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