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#1287 後編第三十六章は、重病の余五郎にお艶を会わせようと、轟夫婦が奔走するところから……

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

今日から「後編その三十六」に入りますよ!それでは早速読んでいきましょう!

(三十六)髄様癌[ズイヨウガン]
夜深[ヨフケ]まで語りてお艶は帰りける跡[アト]に、夫婦は枕に就[ツ]けども、其人[ソノヒト]の身の案じられて睡[ネ]られぬま〻に、此[コノ]無実の罪を雪[ソソ]ぎて、紅梅の化[バケ]の皮を引剝[ヒキム]かむ手段[テダテ]を談合し、明[ア]くれば轟は常[ツネ]の如く第二商社に出勤せるに、余五郎の病勢[ビョウセイ]此[コノ]二日ばかりに募[ツノ]りて、昨夜は吐血[トケツ]劇[ハゲ]しく、いよ/\危篤[キトク]のやうに噂するものあり。胃癌の中[ウチ]にも死を来[キタ]すことの速[ハヤ]きは髄様癌[ズイヨウガン]とて、余五郎の病めるは此[コノ]症[ショウ]、と頼もしからぬ事の耳に入[イ]るより、轟は胆[キモ]を冷[ヒヤ]して、万一不慮の事などあらむには、お艶の身はいとヾ始末着き難[ガタ]かるべし。

ちなみに、#093#094でちょっとだけ紹介したドイツ出身の医師エルヴィン・フォン・ベルツ(1849-1913)が、衰弱した岩倉具視(1825-1883)を診察し、食道がんのため「余命いくばくこともない」ことを告げたのが、日本で最初の「がんの告知」だといわれています。

然[サ]れども今は後事[ノチノコト]をいふべきにあらず。兎角[トカク]は御存生中[ゴゾンジョウチュウ]に半時[ハントキ]なりとも御看病申上げさせ、お遺恨[ココロノコリ]の無[ナ]からむやう、お名残を惜[オシ]ませ申したし、と臀[シリ]も据[ス]わらず三時の退社[ヒケ]を晩[オソ]しと待ちて、かねて此[コノ]人に縋[スガ]らばやと頼みたる、第三商社の支配人なる藤崎といふは、今こそ高下[コウゲ]の身分[ミブン]差[チガ]へど、竹馬の友なりしを縁[エン]にして、少しは筋違ひの無理も聞いてもらへば、今度の一件も此[コノ]人の力[チカラ]を藉[カ]らむと、当込[アテコ]みて駈着[カケツ]け〻るに、今日聞きたる噂[ウワ]さに違[タガ]はず、余五郎の命[イノチ]旦夕[タンセキ]に逼[セマ]りて、昨日[キノウ]から本家へ行[ユ]きて未だ還らずとの事に、がつかり力[チカラ]を落[オト]せしが、何処[ドコ]までも会はでは済まぬ仕儀[シギ]なればと、蹤[アト]を追ひて本家に訪[タズ]ぬれば、今朝ほど御用ありて出られたるま〻今に帰られずといふ。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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