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#1319 諸君!自ら愛し自ら敬せられんことを!

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

須弥山はどこにあると説法しても、地球儀で遊ぶ少年には荒唐であると笑われ、古代中国の尭と舜の世を講釈しても、進化論をふところに入れた書生には野蛮であると賤しまれます。「卑劣」の心に「傲慢」という鎧を身に着け、仏教の経典は歌舞伎ほど面白からず、聖書の黙示録は『アラビアンナイト』にも劣っていると頭からこなす世の中。学問は進んでいるが、見れば見るほど人情は浅ましい。檄文よりも電信が速く、利剣よりも舌鋒が鋭い今日、アメリカのニューヨークに「しんじあ」という男がいます。額ひろく鼻とおり能弁の唇うるわしく、ようやく30を超えて、金持ちでもなければ貧乏でもない。父母は亡くなったが、ボストン大学で神学を修め、風俗の乱れをいたみ、人情の軽薄を悲しみ、道徳の衰退を正そうと、25の時、警醒演説会を起こし、アメリカの南部や西部をめぐり、舌の先の切れぬばかりに演説し、正しい道を教え、感動しない者はなく、学者は筆でもって助け、富者は金銭を寄せて助けます。今日も演説の日で、町の公堂の男女は耳をそばだてて聞いています。しんじあによると、動物には利害の観念があり、この観念には「肉の利害」と「心の利害」があると言います。「飢えを苦しんで食をなし渇きを病んで水を呑むのは、鳥獣が肉についての利害を知ってするところです。寒さを防ぐ衣服を作り、雨を忍ぶ家を建てるなどは、人間が肉について利害の観念を有している結果です。善をよみ悪をにくむは、心の利害の観念を有している作用です。肉についての利害の観念は鳥獣にもあるので、人類の目的が肉の上にのみ属するものであれば他の動物よりかえって不幸といわなければなりません。人類が他の動物より不幸ではないのは、肉と心について二つながらの利害を知る故です。智識の範囲が広い故です。しかしながら人類の歴史を一覧すれば、残念ながら惨憺たるものといわねばなりません。はたして心の利害の観念に従って、愛を厚くし不仁を憎む人民はなにほどありましたろうか。肉の利害の観念に従って、乳を飲み毒を捨てる人民はなにほどありましたろうか。ああ世界の歴史は罪悪の記録だと嘆く人がいるのは、悲しむべき不祥のことではありませんか。肉の利害の観念に逆らえば肉の痛苦を受け、心の利害の観念に逆らえば心に痛苦を受けます。世界に恥を忍び、恐れを覆って罪悪をなすものが絶えないのは、肉の利害にのみ注意して心の利害に注意しないからです。つばめは自分の巣を泥と塵で作りますが、人類の家は穴居から藁葺、木造から煉瓦と進みますが、心の上の進歩を見れば、アダムイブと今日の男女に大きな差がありましょうか。人類の霊魂の巣は、泥と塵ではありますまいか」。さらに演説はつづきます。

諸君は肉に就[ツ]いても心に就いても野蛮世界に住居するを甘んじ給ふか。否[イヤ]また諸君の心の利害の観念は、果して情慾なる野蛮の暴君の壓制[アッセイ]を受けて、寃屈[エンクツ]に甘んずるでせうか。嗚呼予[ヨ]は説き至りて諸君を誣[シ]ひました。諸君は必ず是[コ]の如き誤謬をは爲[ナ]さるまい。然[シカ]れども悪魔の蠱惑[コワク]を叱退[シッタイ]して、古来の汚辱[オジョク]を洗ひ、清浄[ショウジョウ]の新天地を作り出[イダ]すべき少年諸君、眞神[シンジン]の慈愛を服膺[フクヨウ]して、平和の温世界[オンセカイ]を醸し成すべき婦人各位に向つて、其の敢爲[カンイ]の気象を鼓舞し其[ソノ]優美の思想を發達せしめんと欲する予の熱心誠意は、是[カク]の如き言語を流出せり。諸君願はくは予の爲[タメ]に、否[イナ]諸君自らの爲に、否[イナ]天下古今人類の爲に否[イナ]獨一[ドクイツ]神聖なる眞神[シンジン]の栄光を顕[アラ]はさんが爲に、余の所説を再考し給ふて、自ら愛し自ら敬せられんことを。と拍手喝采の中[ウチ]に演壇を下[クダ]れば、數千[スウセン]の聴衆は、己[オノ]が様々に評し合[アイ]つゝ家路に帰りけり。しんじあも徐[シズカ]に支度して立帰[タチカエ]り行く後[ウシロ]よりしんじあ君。

というところで「第四回」が終了します。

さっそく「第五回」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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