#1320 第五回は、恋とは何かについて語るところから……
それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。
今日から「第五回」に入りますよ。それでは早速読んでいきましょう!
『伊勢物語』第四十七段「大弊[オオヌサ]」にはこんな一文があります。
昔、男が心から、どうにかして一緒になりたいと思う女がいた。この男を浮気者だと聞いていて、冷淡さばかりを募らせつつ詠んだ。あなたは神社の大幣のように引く手あまたなのですから、貴方のことは当てにできないですね。返しに男が詠んだ。大幣と評判を立てられているが、いつしか川の瀬に流れ着くのです。
大幣とは、神社の神主が祓えのときに振っている、大串に麻や木綿や紙をフサフサに巻き付けたハタキみたいなアレのことです。人々はこれを引き寄せて体にこすりつけ、身の穢れを大幣に移して、川に流します。あなたは神社の大幣のように、方々から引く手あまたでしょうから、信用できませんわ。そして男は答えます。大幣はお祓いをした後、川に流すんです。それはいずれ川の瀬に流れ着きます。それがあなたなんですよと、という会話です。
「粂仙」は『今昔物語』巻十一に出てくる久米仙人のことです。久米は龍門寺で修行し仙人となって空へと飛び立ちますが、吉野川の川岸で着物をかきあげ洗濯している若い女性の白いふくらはぎを見て心を穢し、墜落し、ただの人となって、その女性を妻として暮らします。
「阿難」は釈迦の十大弟子のひとりで美男子だったと言われています。女難を被ることが度々あり、釈迦が在世中に悟ることができなかったのは女難が多かったためだと言われています。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!
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