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英語がペラペラ、演技の上手い役者、歌唱力のあるボーカリスト、そして魅力的な政治家。将来の可能性は意外な時期に摘んでしまっているよね。『デタラメだもの』

英語をペラペラに喋れる人が身近にいれば、人は羨ましがったり尊敬したりするものだ。「こいつ、将来性あるなあ」と、僻んだりする人だっているかもしれない。歌がめちゃくちゃ上手い人が身近にいれば、人は羨ましがったり尊敬したりするものだ。一緒にカラオケに行けば、聴きたい曲を歌ってもらいたくもなるし、異性からの評判だっていいだろう。

もし、演技がめちゃくちゃ上手い人が身近にいて、ドラマに出演していたり劇団で活躍していたりすれば、人は羨ましがったり尊敬したりするものだ。ついつい別の知人に「俺、あの役者と知り合いなんだぜ」と、自慢してしまうことだろう。

こういった能力を持った人たちは、周囲から特別な存在として、時に羨望の眼差しを向けられることもある。そして、ごくごく平凡に過ごしている人たちに比べると、俗に言う成功と呼ばれるものを手にするチャンスも多いことだろう。

だったら幼少の頃から、こういった能力は思う存分伸ばせる環境を作ってあげればいいのに。成功の可能性というものは、たくさんあるほうがいいに決まっている。本人がそれを選ぶか選ばないか決めればいいだけで、環境は整えてあげるに越したことはない。

しかし世の中、そんなに甘くない。幼少期から成功のチャンスを掴もうなんて、そんな上手い話はまかり通らない。それを圧倒的に拒む存在がいるわけだ。それは誰だろうと考えてみたところ、それはクラスメイトだった。

考えても見て欲しい。学生時代の英語の授業。教科書を音読する際に、先生から指名され、席からスックと立ち上がり、ネイティブ顔負けの発音で音読したとしよう。なぜか教室には笑い声。クラスメイトたちはクスクスと笑い始める。休み時間にはバカにされイジられる。誇張してモノマネされるかもしれない。英語を正しい発音で音読しただけなのに、それが平穏に学生生活を過ごすことを脅かしてしまうのだ。

するとどうだろう。将来性を感じたことで真摯に英語と向き合い、何度も音読を練習し、まるでネイティブのような発音・イントネーションで英語を話せるようになった子は、周囲からイジられることに恐怖心を覚え、次の英語の時間からは、棒読みの日本語英語で音読し、その場をやり過ごすことになるだろう。出る杭は打たれる。日本の悪しき文化。

洋楽を聴けば憧れを抱き、洋画を観れば憧れを抱き、海外旅行に憧れを抱き、国際化が求められる日本において英語の必要性を感じ、将来の有用性をヒシヒシと感じつつも、なぜか真面目に英語に取り組んでいる生徒はネタにしたい。イジりたい。バカにしたい。嘲笑したい。一生懸命になることを恥ずかしがるだけでなく、一生懸命になる仲間の足を引っ張り合う、大いなる矛盾を抱えた日本のガラパゴス思春期。

音楽だってそうだ。学生時代から真面目に歌の練習に取り組んでいれば、将来的にミュージシャンの道だって少しは開けたかもしれない。そこまで大きな道でなくとも、カラオケでは周囲に聴き入ってもらえるほどの歌唱力を手にできたかもしれない。

にも関わらずだ、音楽の授業で課題として出される楽曲を、クラスメイトの前で本気で歌唱しようもんなら、なぜか教室には笑い声。クラスメイトたちはクスクスと笑い始める。休み時間にはバカにされイジられる。誇張してモノマネされるかもしれない。心を込めて楽曲を熱唱しただけなのに、それが平穏に学生生活を過ごすことを脅かしてしまうのだ。

演技だってそうじゃないか。文化祭とか学芸会とかで演劇を披露するとき、まるで俳優のように大胆に演技するヤツはクスクスと笑われる。気づけばみんな、足元を見ながらボソボソと聞き取れない声量でセリフを読み上げ、やる気なさそうに、気だるそうに演技をする。そうすることで、目立つことなく時間をやり過ごそうとする。

そう考えるとだ、生徒会長などに立候補するヤツは、一部の「体育会系で愛されキャラの熱血な奴」を除けば、真面目な生徒が就任すると相場が決まっている。そういう役職に就くやつは、勉強ができたり、面倒なことでも率先して取り組むような真面目な奴。それこそ、将来、政治家になったりするような奴が生徒会長になる。そんな印象があったことだろう。

しかし、日本という国の風向きが悪くなれば、政治家が頼りないだとか、選挙に行っても投票したくなる党がないだとか不満を募らせる。魅力的に感じる政治家が少ないからそうなってしまうんだろうし、だったら幼少の頃から、生徒会長に立候補する奴は真面目な奴だ、などと決め込んでしまわず、生徒たちから支持される魅力ある奴が立候補できる環境なり空気感を作って然るべきじゃないだろうか。

ほら、日本の問題点が浮き彫りになっただろう。全ては日本の思春期における生徒たちの、才能を潰し合う自虐行為に原因があったのだ。クラスの空気を読み、穏便に学生生活を送るということを優先するがあまり、将来的に開花するかもしれない能力を押し殺し、可能性の芽を摘んでいたということになる。

はははん。問題提起だけしておいて解決策を提示しないなんて、そんな芸の無いことはいたしませんよ。解決策の一つや二つ、持ち合わせておりやんすよ。

プライバシー保護学習環境というのはどうだろう。例えばだ、薄毛に悩む人だったり整形を希望する人だったりが通うクリニックなどは、患者同士が顔を合わせずに済むよう、待合室はおろか、診察室・施術室に行くまでの道のりですら、他人と顔を合わせない院内の動線設計になっていると聞く。これを学校教育にも導入すればいいのだ。

普段の学生生活はもちろん、クラスで楽しくワイワイガヤガヤと過ごしてもらえればいい。しかしだ、英語を音読する、課題曲を歌唱するなど、表現の場においては他の生徒からは死角になる場所を用意してあげ、思う存分、表現ができる環境を作ってあげる。そうすることで生徒たちは、「クラスメイトたちは、将来の可能性を掴んでいる可能性がある。自分だってもっと大胆にやらなきゃ!」と自発的に感じる。

結果として、表現する・主張する、という自主性が養われ、文化祭や学芸会の際にも迫真の演技を披露してくれることだろう。演技力の高い生徒は、学校側から芸能プロダクションなどに推薦してあげる仕組みを作ってあげてもいいかもしれない。

生徒会長だってそうだ。イメージを変えてあげればいいんだ。なので、生徒会長が活躍して異性からモテまくるようなヒット漫画を作って、イメージそのものを変えてやろう。漫画がヒットした後はドラマ化、映画化して、後世の子どもたちの印象を完全に変えてやろうじゃないの。

バンドでメシを食っていく夢を諦め切れず、アルバイトを続けながら、同棲中の彼女の給料を啄みながら、パチンコやパチスロに通うバンドマンの自堕落で粗暴な人生のほうが、どこかカッコいいと思われる風潮に終わりを告げよう。そんな奴よりも、生徒会長に立候補し、将来の可能性を自らで拡張できるような人間のほうがカッコいいに決まっている。

そんな政策を思いつき、市議会議員にでも立候補してやろうかと、周囲に熱弁していると、「相変わらずバカだなお前は」と鼻で笑われ、思う存分にイジられてしまった。そうか、熱弁に演技が足りないんだなと思い、芝居がかった調子で演説すると、さらに鼻で笑われ、バカさ加減についていけないと、数人の知人からは絶縁を迫られた。

そんなときは、英語の楽曲を熱唱しストレス発散だ。と、カラオケに行き、ひとり歌っていると、悦に浸かりアーティスト然として歌唱したタイミングで、ドリンクを運んできた店員さんがドアを開けた。目と目が合う。店員と客。いや、店員とアーティスト然とした勘違いな客。店員さんの目には嘲笑の色が浮かび、またしても鼻で笑われた。

デタラメだもの。

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