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日々の生活にオプションを加えることで、ルーティーン化した毎日が劇的に豊かになる。『デタラメだもの』

自然の中で食事をする。例えば、バーベキュー。そういった際に人はたいてい、「やっぱり外で食べるご飯は美味しいわぁ」と言ってのける。やっていることはと言えば、ご飯を食べているに過ぎないが、外で食べるご飯は美味しいわけだ。

いやいや。バーベキューは、火を起こしたりみんなで協力したりしながら食事を拵える醍醐味があるからこそ、「やっぱり外で食べるご飯は格別だわぁ」と言いたくなるんだよ。と主張したくもなるが、仮に自宅でお弁当を拵え、それを持参した上で自然に赴き、レジャシートで寛ぎながらお弁当を食べたときにもやはり、「やっぱり外で食べるご飯は美味しいわぁ」と言うじゃないか。

そこで考えてみた。食事をするという行為に、"外で"というオプションを追加することで、食事そのもののクオリティをアップデートすることに成功しているのではないか。要するに、オプションを追加することで、人間の満足度は飛躍的にアップする。そう考えたわけである。他に何か例はないだろうか?

温泉宿などに宿泊した際にやってのける朝風呂。「せっかく旅館に泊まったんだし、温泉は何度も入らないと損だよね」と言いながら、食前・食後・深夜・早朝などに、人は繰り返し入浴する。特に朝風呂というやつは格別だ。なんとも言えない風情がある。温泉宿に宿泊する醍醐味といっても過言ではない。

これもそうだ。基本的には入浴だ。そこに"温泉"という要素はあるものの、"朝"というオプションが付加されている。入浴と朝のセットだ。さらに豪華なプランを選ぶならば、"朝"というオプションに加え、露天風呂という"外"のオプションだって付けることができる。なんというオプションまみれの贅沢だ。まるで、年齢を重ねるにつれ増えていく、生命保険の特約オプションみたいじゃないか。ぬふふん。

なるほど、"外"とか"早朝"というアイテムは使えるな。単に読書をするにしても、屋外で読書することで、清々しい気持ちを味わえたりもする。心地良い風が吹く屋外で、俵万智のサラダ記念日などを読みたいものだ。ふふふん。

歩くという行為だって、"早朝"にプラプラと出歩けば、なんだか物思いに耽りながら、著名な文豪になった気分で時を過ごせる。日中とは空気が違うなぁなんて言いながら、やたらめったら深呼吸をして空気を味わったりもする。他にないかな。他に。あっ、"普段と違う"というアイテムもちょっとしたオプションになるなぁ。

通い慣れた会社への道のり。会社から自宅への道のり。いつもと違う角を曲がってみれば、見慣れない光景が広がり、あらっ、新鮮。ひと駅手前で下車して徒歩で帰るなんてのも、"普段と違う"をオプションに加えた楽しみといえるだろう。

ふと気になった民家の角を曲がった瞬間、悪党に追われる美女と遭遇するかもしれない。その美女を助けることによってその活躍が人々に知れ渡り、ヒーローと相成り、その後、世界の平和を守るヒーローとして悪と戦う物語が始まるかもしれないぞ。

かつて曲がったことのない角を曲がってみると、向こうから生き別れた弟がこちらに向かって歩いてくる。「お、お前、もしかして――」と呟くと、「もしかして、兄貴か――?」なんて言いながら、金に困り徘徊していた弟から「兄貴、すまないが、5万円ほど貸してくれないか?」と頼み込まれ、サイフの中身を覗く。「悪ぃ、今、手持ちが3千円しかなくて――」と答えると、「昔っから頼りがいのない兄貴だぜ」と吐き捨てられ、そのまま弟は再び姿を消した。なんてドラマが生まれるかもしれないぞ。

そう考えると、人生を豊かにするためには、この、オプションというやつを意識して生きればいいわけで。既にルーティーンワーク化した日々の行動に対し、いちいちオプションを付加してやることで、新鮮な気持ちが芽生え、興奮も増し、「俺の人生、最高やん!」と相成るわけである。

例えば、"けんけん"と呼ばれる片足飛び。大人になるにつれ、"けんけん"をする機会は激減してしまうが、仮に大の大人が路上で"けんけん"をやったとて、なんの面白みもない。では、"けんけん"にはどんなオプションをセットしてやればいいかと言うと、路上から場所を移し、"崖っぷち"へと行ってみるべきだ。そう。山奥の崖っぷちで"けんけん"をすることによって、失敗すれば命を落としてしまうかもしらん、という緊迫感が生まれ、一気にエンターテインメント化する。テーマパークのジェットコースターをも凌駕するかもしれない。

物を渡し合う際には、手渡しするのではなく、放り投げて渡し合うのも面白い。渡すという行為に、"投げる"をプラスするわけだ。例えば、お皿を手渡すときなんか、落としてしまうと当然、割れる。大きな損失を生んでしまうため、投手にも捕手にも緊張感が漲る。ノートパソコンなんかを渡すときには、ブーメランのように投げてみるのもいいかもしれない。失敗するリスクはかなり高まるが、ハイリスクの向こう側にこそハイリターンがあるってもんだ。

生活というものに、左手というオプションを加えてみてもいいかもしれない。ここでいう左手というのは、利き手とは反対の手、という意味なので、左手が利き手の人は右手でお願いします。

不便というのは、時に人間に楽しみを与えるものだ。冒頭でも出た通り、バーベキュー。お金を払えば、調理などしなくても料理が配膳される。食器を準備する必要も洗う必要もない。冷暖房がガンガンにきいた店内で快適に過ごせる。そして何より、火を起こす必要もない。それから比べると、バーベキューなんて不便の極みだ。だけど面白い。だから面白い。人はそう感じるわけだ。

となると、利き手ではない手を中心として生活を送ってみたとする。すると、全てにおいて不便だ。生まれて長い年月を共にした、利き手で生活するという当たり前を停止させ、不慣れな生活を送ってみる。これまでとは違った感覚を味わえること間違いなしだ。

字は書きにくい。マウスは操作しにくい。リモコンだって押しにくい。トイレットペーパーもちぎりにくい。歯も磨きにくいしメイクもしにくい。何もかもが不便だけれど、それこそが新しい生活だ。初心を取り戻すことだってできるだろう。生きていることを噛み締められるかもしれない。なんと素晴らしい発想だ。

そう思い、左手中心の生活をやってみることにした。ふふふん。意外と利き手じゃないほうも器用じゃあないの、なんて自画自賛し、鼻歌を歌いながら生活していると、とある契約書類に住所やら氏名やらを書き込む場面に。左手の器用さを盲信し、自信たっぷりに書き込んでみたところ、あまりもブサイクな字になってしまい、文字の視認が難しく、これでは契約が履行されない可能性がある。

そんな危険性を察知したため、あまりにも歪になった文字の部分に訂正印を押してやろうと、左手に力を込める。すると、押し込んだ重心がズレていたのだろう。ハンコがつるんッと滑ってしまい、あらぬ場所にあらぬ形状で捺印されてしまった。

あかんあかん。契約書類って控えあったっけな? 万が一のときに備えて、もう一部用意してたっけな? そんなもん、あるはずがない。契約書類はいつだって一発勝負だ。失敗すれば取り返しのつかないことになる。そう気づいた矢先、冷や汗が吹き出し、嗚呼どうしようどうしよう――と狼狽しながら、気づけば右手でこめかみをポリポリと掻いていた。

デタラメだもの。


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《3分後にはもう、別世界。》 『3分で読めるショートストーリー作家+広告クリエイター+マーケッター』の切り口で記事を執筆しています。広告企業勤め+フリーランスの兼業家。https://www.facebook.com/osakamoderndisco/

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デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。妄想まみれで日常を綴るエッセイです。

コメント (2)
僕は左利きなので、右手でも字を書けるようになりたい…と練習はするんですけど、なかなか続かずにいます。
でもそれこそが人生に彩りを添えてくれるかもしれないとまたやりたくなりますね…
利き手とは逆の手のポテンシャルって、意外と知らぬまま人って生きてますよね! もしかすると、予想外の才能があったりして――とか考えてみました。
昔、ファミコンのとあるゲームソフトに飽きたときに、コントローラーを上下逆さまに持ってプレイした瞬間、難易度が爆裂にアップして、それはそれで新しい楽しみ方だなぁと感じたこともあったりで。アベコベにやってみる、というのも、ひとつの楽しみ方だなぁと思いましたね!
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