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予定調和と化したライブでのアンコール。それでも人はなぜ、全力でアンコールを求めてしまうのか。『デタラメだもの』

ライブやコンサートなどに足を運んだことのある人ならわかると思うが、ステージにはアンコールというものが付き物だ。本編のステージが終わり、アーティストが一旦バックステージに引っ込んだ後、来場者の熱望に応えるかたちでステージ上に再登場。そこから数曲を熱演し、ファンの「まだ足りないよ!」という腹ペコさを埋めてくれるサービスだ。

まだライブやコンサートへ参加することに不慣れだった若かりし頃は、このアンコールのサービスに興奮したものだ。まだまだ熱狂に浸っていたいと渇望する気持ちを満たすが如く、照明の落とされたステージが再び輝きはじめ、バンドマンたちは手を振りながらステージに姿を見せる。そして、追加の楽曲が数曲だけ演奏される。

時に、本編とは衣装をチェンジし、少しだけラフな格好で登場してくるもんだから、アーティスト自らの独断でステージへと舞い戻り、ファンサービスの一心でステージを継続させてくれているもんだと、若かかりし頃は思っていた。かなりピュアな頃。こんなにもまだ、薄汚れていなかった頃の記憶だ。

ところが、ライブやコンサートに足繁く通うようになってからというもの、アンコールというのは、1回のショーに組み込まれたパフォーマンスであり、決して予定調和をブチ壊すイレギュラーで且つラッキーでハッピーなハプニングではないと知ることになる。

本編が終わったにも関わらず、誰一人として席を離れようとしない。消灯されたステージにもまだ薄っすらと明かりが残っている。会場中が照明で明るくなるわけでもない。帰りを促すアナウンスも流れない。そして始まる、「アンコール! アンコール!」の大声援。なるほどですね。アーティストというものは、アンコール前提で、演奏する楽曲構成すなわちセットリストを組んでいらっしゃるんだな。ははん。

どうりで隣席などから、「今日はまだあの名曲とあの名曲は演奏してないから、アンコールでやってくれるね!」といった、未来予測の会話が聞こえてくるわけだ。ファン自身も、本編とアンコールのセットリストを事前に予想しながら、アンコールのパフォーマンスも込み込みでライブを楽しんでいるのか。

予定調和を打ち砕いたり、他とは異色を放つ表現方法をブチかますパンクロックやラウドロックを特徴とするバンドですら、アンコールにはきっちりと応えている。そこの予定調和はきっちりと遵守するわけだ。ルールを破壊するような強烈なメッセージを放つタイプのバンドですら、アンコールという名の予定調和のルールには従う。そんな姿勢を少し寂しく思ったこともあった。

しかし、中にはそんな予定調和を乱す男気溢れるバンドやアーティストもいた。本編が終わり、ステージが暗くなる。ファンたちは一斉に「アンコール! アンコール!」と叫びだす。ところが、数分経っても何の変化も起きないばかりか、会場には開場時と同様の明かりが灯され、退出を促すアナウンスまで流れ始めた。

「そんなわけあるかい! アンコールがないとか有りえへん!」と、ファンたちはさらに声を大きくしアンコールを要求する。しかし、叫べども叫べども事態は好転せず、仕舞には諦めて席を立ち、帰ろうとするファンたちも現れ始めた。

そんな無情の悲劇を信じたくないファンたちの飢えはさらに深刻さを増し、アンコールを渇望する声も、もはや奇声に近くなる。結果的にはその日、アンコールでアーティストが再登場することはなかった。会場を後にしたファンたちは、「アンコールがないなんて消化不良だ!」とか、「なんか物足りない!」などと、口々に愚痴を言い合った。ファンとして、常識やルールを破壊するメッセージに浸りながら、アンコールという名の常識やルールを破壊したアーティストに対し、その遵守を求めるような愚痴をこぼしていたわけだ。

何もショーそのものが短かったわけでも、代表曲を演奏しなかったわけでもない。たっぷりとしたショーだったし、思い残すことなどないセットリストだった。しかし、アンコールの欠如により、ファンの不満が爆発した。

なるほど。奇をてらい虚を突いたファンサービスの様相を呈したアンコール、すなわち付加価値は、もはや付加価値という価値を失い、コース料理のうちの1品として認識されていたわけだ。となると、アンコールを催さないことはコース料理の1品が提供されなかったという不満につながるわけで、もはや「ありがたく受け取る類の付加価値」でもなんでもなくなっているということだな。

これはおそらく、普段からロクに愛情や優しさを示してくれない彼氏が、珍しくプレゼントなどをしてくれた際に、異常なまでに多くのポイントが加点される反面、日頃から愛情や優しさを注いでいる彼氏が、たまたまプレゼントを買い忘れたなどの失態を犯した際に、取り返しのつかない規模の失点を食らうような事例と似ているな。

何事も、たまにやるから加点扱いされるわけで、常態化すると、「やって当たり前、それは加点対象になりません。ただし、疎かにした暁には失点扱いにいたします」という、異常に厳しいルールが課せられる。例のアレだな。

にしても思う。ステージ上のパフォーマンスについては、時代とともにクオリティも高くなり、演出なども凝りに凝ったものになっている。照明や音響、特殊効果などもふんだんに用いられるのが、昨今のライブパフォーマンスというものだ。

ところが一方で、アンコールを要求するアプローチが一向にアップデートされていないのが気になっていた。本編が終わった後に、皆で一斉に「アンコール! アンコール!」と叫ぶやり方。パンクロックやラウドロックなどの場合、「オイ! オイ! オイ!」と叫ぶケースや、アーティスト名を連呼するケースなど、微妙に異なるアプローチもあるが、どれもこれも似たようなものだ。

アンコールは既に予定調和。ファンもそれを知っている。アプローチ方法は多少の差はあれど、だいたい同じ。そして再登場するアーティストは皆、「アンコール、どうもありがとう!」と、オフステージのようなラフな笑顔と衣装を引っさげて出てくる。ここにアップデートの余地はないものだろうか。

アーティストの準備の負担は増えてしまうが、アンコールでは会場にいるファンが手元のスマートフォンでリクエストした楽曲から演奏するとか。アンコールは3度に1度しか実施しないというランダム性を持たせ、再びアンコールの座に付加価値を取り戻してあげるとか。そういったハプニング感が多少なりとも欲しいものだ。

なぜアンコールについてここまで思考を巡らせてみたかというと、先日、仕事でプレゼンテーションをする機会があり、複数社が同時にお客様に提案を差し上げるという場面があった。全ての会社がプレゼンテーションを終え、お客様のオフィスから退出した後、同行者が先方の会議室に名刺ケースを忘れたことが判明した。

同行者は運悪く、別のお客様からの電話の着信を受けてしまったため、「しゃーないな。取りに行ってあげるわ」と彼に言い残し、先方の会議室に再び戻ることに。

「ん? これって、アンコールのパターンじゃね? 再びステージに舞い戻ることによって印象にも残るし、定められた時間以外のアピールができるやも知らん!」

イレギュラーで且つラッキーでハッピーなハプニングが起こったことをプラスに捉え、このチャンスを活かす気満々で先方の会議室前に戻ると、室内から声が漏れ聞こえてきた。

「今回のプレゼンテーションはB社(他社)で決まりだね!」と、満場一致で可決を迎えた話し声。ん? 定められた時間以外のアピールもクソもないやん。もう他社で決まってしまってるやん。プレゼンテーションの結果の回答は来週末とか言ってはったけど、もう今決まってるやん。そして、「名刺ケースを忘れてしまいまして……」と、この敗者がどんな面下げて、再び会議室へと舞い戻ればいいんだ。

気持ちが折れそうになったものの、アンコールを実施しなかったアーティストたちが、ファンの不満を受けていたことを思い出し、そこはアンコールを実施することに。「すみません! 名刺ケースを忘れちゃいまして!」と入室。予定調和のアンコールのはずが、先方の皆様方が浮かべる、完全に引きつり、社交辞令に満ちた笑顔という名の照明を全身に浴びることになった。

デタラメだもの。


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