見出し画像

カラオケとは戦いの場。気を使わねばならないことが多すぎて、歌唱に集中なんてできるわけがない。『デタラメだもの』

それにしてもカラオケというものは、戦わなければならないことが多すぎて落ち着かない。歌唱を楽しみに行くというのが本来の目的のはずなのに、意識せねばならんことが多すぎるため、のんびりなんて唄っていられない。

人間という生き物は、大きくふたつに分けられる。それは、自らの歌唱中に、店員さんがドリンクを持って室内に入ってきた際に、歌唱を止めるタイプの人と歌い続ける人。このふたつのタイプしか存在しない。じゃあ、自分はどっちのタイプなのかというと、圧倒的に前者のタイプだ。

過去にカラオケの店員としてアルバイトした経験がありましてですねぇ、ドリンクを持って客室に入る際、どんなヤツがどんな歌を唄っているなんざ、全く意識すらしないわけ。もちろん、他の仕事も次から次とこなさねばならないし、一室一室、そんな細かいことを気になんてしていられない。あくまで仕事だから。仕事でドリンク運んでるんだから。

ところがだ、いざ客側の立場でカラオケに訪れてみると、そういうわけにはいかない。店員さんがドアを開けた瞬間、「こいつ、熱唱しとるやん!」と、心の中で笑われやしないだろうか。「年齢のわりに最近の曲唄とてるやん!」と、バカにされやしないだろうか。「客室のドアを開けた瞬間、ちょっと遠慮して声のボリューム抑えてるやん。でも、俺は店員が入ってきたとしても動じずに唄い続けられるメンタルの強い人間だぜ、ということを誇示するために、止めることなく歌唱を続けてるやん」と、深層心理を丸裸にされやしないだろうか。

そういった恐怖の事象が待ち構えているため、基本的にはドリンクが運ばれてくるまでは、歌唱を始めないようにしている。だって、その日どうしても唄いたい歌の、しかもサビの一番おいしい部分で店員さんが入ってきたら、歌唱を中断せねばならないじゃあないの。そんなのもったいない。せっかくお金を払ってるんだからさぁ。

カラオケで戦わなければならないのは、それだけじゃあない。複数の人間、例えば、三人でカラオケに行ったとしよう。これまた、戦うことを強いられる。それは何かっていうと、自分の歌唱中に他の人間たちが日常会話を始めるという悲しきアクシデントだ。

こちらが熱唱している横で、リモコンを操り次の曲を探しているなら全然問題ない。目はリモコンを注視しているとしても、耳はあいているでしょう。こちらの歌唱も届いていることでしょう。しかしだ、日常会話をするってことは、会話が耳を占拠し、熱唱はBGMに成り下がってしまうわけだ。

考えてもみて欲しい。日常会話なら、ファミリーレストランや喫茶店だってできる。カラオケとは歌唱を楽しむ場所。そこで日常会話を楽しむなんて、野球場に行って試合の観戦中に、手元のスマートフォンでサッカーの試合を視聴するようなもんだぜ。それなら、サッカースタジアムに行けって話になってくるじゃあないの。

仮にもっと大勢でカラオケに行ったとする。こちらが熱唱している最中に、ある誰かが日常会話を始める。その話題が興味深かったのか、俺も私も、と次々に日常会話に参加していく。気づけば、画面を見つめ熱唱しているのはただひとり。自分以外の人間は、テーブルを囲みながら談笑している。その孤独感を想像したことがあるだろうか。これはイジメの構図と言っても過言ではないのだよ。

そして、こちらの歌唱が終了するや否や、まるでマナーを守るかのように一斉にこちらを振り向き、「ヒューヒュー!」と叫んだり、「よっ、上手いね!」とおべんちゃらを言ったり、「この歌、めっちゃいいよね!」と、こちら側に寄り添ってきたり。言ってやりたいわけである。「何ひとつ、聴いてなかったやん」と。

さらに恐ろしいことがある。それは、モノマネなどを強要されて、なまじっかモノマネが上手く、その場が盛り上がってしまった場合である。ここで断言しておく。モノマネで歌唱するのは、楽曲の一番だけにしたほうがいい。二番以降もモノマネを続けてしまうと、ケガをする。

所詮、プロのモノマネタレントのクオリティなんぞからすると、足元にも及ばない素人モノマネ。最もインパクトのある瞬間は、歌唱を始めた最初の出だしだけ。ここで「うわぁ、めっちゃ似てるやん!」をいただければ、本来ならその後は唄い続けないほうがいい。要するに、出オチなわけだ。

初動のインパクトを既に失い、且つ、プロほどのクオリティも担保されていない素人モノマネなど、Bメロの中盤には飽きられている。みんなが盛り上がりを続けているなら、それは社交辞令だ。愛想笑いだ。口角の筋トレだ。

ただ、要求されたもんだから、ひとまずは最初のサビまでは唄わなきゃ失礼だろう。そこまでは我慢しよう。そこまで唄い終われば、「じゃあ、そういうことで──」と、リモコンの演奏停止ボタンを押させていただきたい。ところがだ、場を盛り上げる役目を担っているような人間は言う。「いやいや、めっちゃ似てるし、全部唄おうよ!」と。ここからが地獄の始まりだ。

もはや、全員が社交辞令の愛想笑いを浮かべている。極端なデフォルメで笑いを取るのは前半で済ませているから、後半に繰り返したとしても、強烈な愛想笑いが咲き乱れるに違いない。かといって、全力本気のモノマネで唄い続けるには、全員の飽きが気になる。とはいえ、モノマネの個性を薄めてしまうと、中途半端になり、何をやっているのか、何をやらされているのか分からなくなってしまう。そして、モノマネを止めて素で唄うのも、妙な空気が漂ってしまうのでマズい。

そんなこんなで態度を決めかねていると、とある誰かが日常会話を始めたりする。どうやら連中の中で気になるテーマだったらしく、全員の食いつきがいい。目を輝かせながら日常会話を楽しんでいる。こっちがサビに突入したため、声量をアップさせ熱唱していると、その音が邪魔で会話が聞き取り辛いらしく、顔を寄せ合ったり、片耳を抑えたりしている。どうもすみません。唄っちゃってすみません。演奏停止ボタンを押すのを拒否したのは、君たちじゃないか。

とかくこういう戦いは好きではないため、三人以上ではカラオケには行かないことにしている。人生でも数回しか行ったことがないはずだ。二人だったら、相手が日常会話を始めることはあり得ないからね。まぁ、誰かからの着信を受けて電話に出られる、なんてリスクはあるかもしれないが。

そう思うと、カラオケというものは、ひとりで行くのが最適なんじゃないだろうか。だって、歌唱を楽しみに行くわけだ。他人に気を使わないのがベストだ。そう考え、ひとりでカラオケに突入してみたことがある。まだ、ひとりカラオケが市民権を得る前の話だ。

まず受付で、「えっ? まさかコイツ、ひとりで来てんじゃね?」という視線を投げかけられた。あまりにも恥ずかしすぎて、咄嗟に「あれぇ? アイツ、ほんとに今日、来るのかなぁ?」などと、ひとり言を呟く始末。ひとりで受付を済ませるのは本意ではない。来ると言いながらも、ほんとに来るのか信用できない友達とふたりで来店する予定が、案の定、ひとりになっちゃってます。ほんと情けない友達ですみません。と、暗に伝えようという魂胆だ。

室内に入ってからは、さすがのひとり。何に気を使うわけでもなく、熱唱ができる。これこそカラオケの醍醐味。歌唱を楽しむ。とことん楽しみ切る。そうやって、ひとりカラオケの自由さに酔いしれていると、重要なことを失念してしまっていた。そう。店員さんがドリンクを持って入室してくることを。

他人と一緒だと絶対に唄わないであろう難易度の高い楽曲に挑んでいるときだった。かすかな物音に気づき、ドアに目を向けると、そこには店員さんの姿。
こっちは熱唱中。ひとりに酔いしれ、アーティスト気取りで、身振り手振りなどもつけていたかもしれない。しかも、難易度の高い楽曲のため、高音部分で声がひっくり返りそうになっていた。そのタイミングでの店員さん襲来。僕は精一杯、涼しそうな表情を作り、こう言った。「ひとりだと、たっぷり練習できますなぁ! さぁ、練習練習!」。それが最初で最後のひとりカラオケになったことは言うまでもない。

デタラメだもの。


▼ショートストーリー30作品を収めた電子書籍を出版しました!

▼常盤英孝のプロフィールページはこちら。

▼ショートストーリー作家のページはこちら。

▼更新情報はfacebookページで。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

今後も良記事でご返報いたしますので、もしよろしければ!サポートは、もっと楽しいエンタメへの活動資金にさせていただきます!

いつもほんとにありがとうございます!
17
《3分後にはもう、別世界。》 『3分で読めるショートストーリー作家+広告クリエイター+マーケッター』の切り口で記事を執筆しています。広告企業勤め+フリーランスの兼業家。https://www.facebook.com/osakamoderndisco/

この記事が入っているマガジン

エッセイ『デタラメだもの』
エッセイ『デタラメだもの』
  • 44本

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。妄想まみれで日常を綴るエッセイです。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。