見出し画像

書道は人の性格をあらわす。インバウンド向けビジネスの準備で書き初めしてみた結果、そこに待っていたものとは?

仕事帰りに後輩と立ち寄っていた立ち飲み屋の店長が変わりリニューアルされたのですが、椅子が設置され店内BGMが廃止されテレビが設置され、価格帯が倍ほど高くなってしまい、もう立ち寄れないと嘆いている今日この頃、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

さて。

書道って、人の性格で出るなぁ、と痛感した出来事がありまして。
と言うのも、現在、インバウンドの観光客向けに、書道を体験してもらうだけでなく、その方のお名前を書にしたためて(漢字の当て字で)、それをTシャツにプリントして差し上げる、という体験サービスの準備を進めていまして。

大先輩のコピーライターさんと協業で進めているビジネスなのですが、あれこれ準備をしながら、缶ビールを呑みながら、「あっ、そういや書き初めしましょうや」という運びになり、十数年ぶりに筆をとったわけです。

幼き頃に書道を嗜んでいたため、いくら久しく筆を握っていないとは言え、ある程度の仕上がりになるだろうと筆を走らせたところ、なんと言いますか、下手でもない、味もない、特徴もない、個性もない、魅力もない、そんな文字が半紙の上に姿を現したわけです。

お手本として自由に筆を走らせる大先輩師匠。僕が書にした文字と同じものを書く大先輩。するとどうだ、全く異なる仕上がりになったじゃないか。同じ文字とは思えない。人間という同じ生き物が表現したものとは到底思えない。そんな大胆な文字が半紙の上に姿を現し、当方、絶句

泳がせるように筆を扱う大先輩。特に、書道に深く精通しているわけでもなく、センスと感覚で文字を表現していきます。それを見て思ったわけです。

完璧に書かなければ、上手く書かなければ、なんて誰からの制約も受けていないのに、なぜこんなにも型にはまった文字を書いてしまったのだ?
完璧に書かねば、上手く書かねば、って無意識に思ってしまったのはなぜだ? そしてその結果、なんの個性もない仕上がりになってしまったじゃないか。

そして、気づいたわけです。

人は無意識のうちに、常識に縛られている。まっすぐ書かねば、セオリー通りにやらねば、見やすいようにせねば。そんな「普通」という名の制約を自らに課し、大胆にやる、破天荒にやる、型破りにやる、思いのままやる。そういう欲望に蓋をして生きているなぁ、と。

平均点を取らねば殺されるとでも思ったのだろうか? 平均点だけ取っておけば仕上がりは恥ずかしくないだろうとでも思ったのだろうか? 常識に縛られて萎縮した自分の文字は、自分の性格というものを反映しているじゃないか。愕然。

そこで、見様見真似、大先輩の筆の走らせ方を真似てみた。もちろん、同じようになんてできるはずがない。でも、ちょっとそれっぽくなってきた。なんか、やれてる感がにじみ出てきた。そして何より、こっちのほうが楽しい

その夜、僕は書道を通じて、ひとまわり大きな人間に成長できた気がする(大袈裟)。自分の殻を1枚破れた気がする(かなり大袈裟)。内面から魅力が溢れ出してきた気がする(はい、もうやめます)。

もちろん、書道に正しく取り組むためには、血のにじむ努力を繰り返さないといけない。鍛錬の上に、あの流麗な美しさがあることはわかっている。でも、書道に楽しく取り組むためには、自分の気持ちを開放するだけでいいと知った。

こんな気持ちを、海外の人にも、ぜひ味わってもらいたい。

感慨深い気持ちで大先輩の事務所からオフィスに戻ると、大先輩から連絡が。「仕事用の携帯(ガラケー)、忘れてるよ」。トンボ返りで携帯を奪取。安堵するも、翌日、ガラケーをパカパカしようと手に取ると、パカパカできなくなっていた。故障してるんちゃうん? 焦りながらアチコチのボタンを押したりしても、全くパカパカしない。どうしよう、どうしよう。

ふと携帯の底面に目をやると、セロハンテープ。パカパカする部分が透明のテープでとめられてあった。そりゃ開かんわな。ヤツの仕業か。なるほど、大胆に生きるというのはこういうことなのか。

▼ショートストーリー30作品を収めた電子書籍を出版しました!

▼常盤英孝のプロフィールページはこちら。

▼ショートストーリー作家のページはこちら。

▼更新情報はfacebookページで。


今後も良記事でご返報いたしますので、もしよろしければ!サポートは、もっと楽しいエンタメへの活動資金にさせていただきます!