見出し画像

和食以外のショートショートで、お腹をいっぱいにできる。アメリカン・ショート・ストーリーがたっぷり味わえる豪華な一冊。『超短編小説70 Sudden Fiction』【書評】

『超短編小説70 Sudden Fiction』
ロバート シャパード (編集)、 ジェームズ トーマス (編集)、村上 春樹 (翻訳)、 小川 高義 (翻訳)

本著をひとコトで表現するならば、「和食以外のショートショートで、お腹をいっぱいにさせる本」。日本の作家が綴るショートショートとは異なる空気感をたっぷり堪能することができる

日本のショートショートがすなわちショートショートだと定番化している方は、アメリカン・ショート・ストーリーの味わいに、その概念を少し変えるきっかけになるかもしれない。そんな一冊です。

SUDDEN(サドン)―「いきなり」「だしぬけ」、「おもいがけない」、ぴんと張りつめて、油断のならない。長編小説が200ページかかってやることを、たった1ページでしてのける、とびきり生きのいいショートショートのアンソロジー。ヘミングウェイからカーヴァー、ブラッドベリー、さらに本邦初訳のアメリカン・ショート・ストーリーの佳品がぎっしり詰まった576ページ。

人類皆兄弟とは言うものの、たとえ兄弟だったとしても海を越えて文化や風土も違えば、紡ぐ作品の空気感もこんなにも違うものか。日本のショートショートが光を当てるテーマとは、位置も違えば角度も違う。「なるほど!」と思わせるポイントや「おぉ!」と思わせるポイントが、日本のそれとはまったく違っている。

唯一、クレイグ・マクガーヴィーの『どきどき、びくびく』という作品だけは、すごく日本的な感覚というか、日本の世界観に近いなと感じた。なんというか、人間の思考や所為のごくごく委細な部分に光を当て、それをストーリーにする感じが、どこか日本らしさを思わせた。

本著ではショートショートとは一体何か? もちろん長編ではないし短編ほど長くもない。かと言って詩でもない。じゃあ一体何なんだ? という編集者や作家たちの議論が収められている。そして、ショートショートに本当に適した呼称とは何か、についても。

結論、『Sudden Fiction』という呼称に落ち着いた。ショートショートという呼称はどこか野暮ったいと感じられるみたいだ。日本語を母語とする自分にとっては、ショートショートという呼称すら洗練されて感じられるが。

数多の議論を生むといったところから、でショートショートにはとてつもない可能性が秘められていると思う。なぜなら、「これこそがショートショート」という型が存在せず、決まったお作法もなければルールもない。

アリス・K・ターナー氏がショートショートの概念について、

ショート・ショートは、読んだあとで思わず膝を叩かんばかりに、「わ、すごい!」と言わるものであってほしい。(中略)ぱちんと弾けるというのは、「ひねる」とか「落ち」とか言ってもよいが、O・ヘンリーが得意にしたような意外な結末である。

(中略)それでも結末で弾ける感じがしないなら、ショート・ショートと言えるものではなく、非常に短いというだけのストーリーだ、と私は思っている。「ひねり」は笑いを誘うこともあろうし、ショッキングまたは感動的であってもよい。ともかく予想がつくようではいけない。

と語っているが、これは非常に勉強になるし、ショートショートという概念を捉える上で、的確且つ端的に言い表している。

本作70の作品は、村上 春樹/小川 高義という豪華なご両名による翻訳。魅力ある作品を魅力ある方が翻訳しているという贅沢さ。ただ、やはり悲しいのは、邦訳文でしかそれを味わえないということ。

自分に完璧な英語の語学力があり且つ、ネイティブと同じ感覚で語学が操れるなら、本作が持つ本当の表現や空気感が味わえるのに。

洋楽はありのままを享受できる。洋画は字幕が付けども役者の演技をそのまま享受できる。一方、小説は言葉だけを武器に戦う世界。その旨味を享受するためには、言語の翻訳は避けて通れない

いつか言語を完璧にマスターし、ネイティブの感覚まで自分に宿らせ、原文でもう一度味わってみたい一冊だと感じた。


▼常盤英孝のプロフィールページはこちら。

▼ショートストーリー作家のページはこちら。

▼更新情報はfacebookページで。


この記事が参加している募集

推薦図書

今後も良記事でご返報いたしますので、もしよろしければ!サポートは、もっと楽しいエンタメへの活動資金にさせていただきます!