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仕事における「これも加えといたろ」の精神

  仕事でなにかをするとき、ちょっとした気づかいが意外と大切だったりすると思う。

 私はライターなので、書いた記事をいわゆる「商品」として販売し、お金を得ている。商品となる記事は基本的に「じゃあ、こんな感じでオナシャス😇」という依頼があってから書くので、マストで必要な情報はだいたいお決まりだ。

 たとえばモーターショーの取材記事を書くとする。とくれば、押さえておきたい情報としては、

・主催者
・ショーのコンセプト
・開催期間
・出展メーカー
・各メーカーの動向
・会場内の様子
・訪れた人の声
・前年との比較

などが挙げられると思う(ほかにもあるかもですが)。

 そのため、まず記事の構成は上記一覧を入れ込めるような形で考える。そしてつらつらと書いてみて、気になる部分をちょこちょこ整えるという作業を行っている。

悩んだらGO

 そうしてひととおり書き終えると、「この情報って入れるべきかねえ?」という取材内容が、だいたいひとつやふたつは出てくる。

 さきほどのモーターショーの例でいくと、TOYOTAのブースに香川照之氏が登場し、おもしろトークで会場をドッと沸かせた、的な感じになるかと思う。

 ここで悩ましいのは、この香川氏の情報を入れることで、すでに書いた記事の形が崩れてしまうというパターンだ。

 もし補足的にちょっと付け足せるならば書けばいい話なのだが、記事全体を通してのトーン&マナーと合わないため、どうしようかと悩む場合がある。

 こんなとき、他の職業のひとはどうしているのかなあ、といつも思う。たとえば営業マンの場合。取引先に提出する企画書で同じような状況になった際、この「モーターショーの香川照之氏」的な情報があった場合、どう処理しているのだろう、と。

 私自身は、ここまで色々と述べたものの、いつも最後は結局、その情報を文章に入れ込むようにしている。もちろん全体の体裁を崩したくないので、「最悪削除しようと思えば消せるし、消したとしても全体の雰囲気は崩れない」というアンバイで。もしくは、文章の一番最後に申し送り的な感じで※を付けて、「素材だけ渡すので、あとはご自由にどうぞ」というやり方を採用する場合もある。

 いずれにせよ、悩んだらとりあえず足してみる。べつに悪気があってやっているわけではないし、どちらかと言えば、これは気づかいである。「書かなくても記事は成立するけど、書いた場合におもしろくなる可能性を秘めていて、たとえ削除しても全体には影響を及ぼさない」というニュアンスなので、できるだけ足すのが正解なのではという仮説のもと、毎日の仕事を進めている。

前置きが長くなりまして

 で、本題はここからである。

 先日、近所のコンビニへ行った。深夜2時。お腹が空いていたので、夜食を求めてふらりと足を踏み入れた。

 なにを食べようか。この時間に弁当はやばいし、カップ麺を食べたいほどではない。じゃあ、いつものやつにするか。カップスープ。小腹をちょうどよく満たしてくれて、そこそこの満足感を得ることができるからだ。

 商品は「じっくりコトコト こんがりパン 冷たいコーンポタージュ」を選んだ。

 これは冷たい牛乳を入れて飲むのだが、しょっぱいパンと一緒に食べると最高にうまいのである。スカスカの陳列棚にひとつだけ残っていたソーセージパン、そして500mlの牛乳と一緒に、カップをレジへ持っていく。レジには、初めて見かける店員が立っていた。

 私はカップスープとソーセージパンと牛乳をレジ台に置いた。それと、180番のアメリカン・スピリットを注文し、店員がもどってくるまでの間に楽天ペイを準備しておく。

 やがて店員がもどってきた。「こちらでよろしいでしょうか」とタバコの箱を見せられ、「はい」と答える。いつものキャッチボールである。

 そして話の核はここからなのだが、写真があったほうがわかりやすいと思うので、帰宅後に撮影したイメージカットを数枚用いることにする。

 レジ台には、このカップスープが置いてある。

 店員が「袋はいりますか?」と聞くので、「袋はいりません」と私が答える。スキャナーでスマホのバーコードを読み取られ、一瞬の間があく。やがて清算終了の画面になったので、私はスマホをポケットにしまい、レジ台の商品を持って帰ろうとした。

 すると店員が、「あっ」と声をだした。「?」という顔で彼のことを見ると、レジ内側の引き出しをガサゴソといじり、なにやら探している。

 私は一瞬なんだろうと思ったが、すぐに理解した。ああ、スプーンか。確かに忘れていたけど、くれるならもらっておくか。レジ前で直立の姿勢で、店員の動きを待つ。

 スッ……。

 店員が優しい手つきで、私のカップスープの上にこのスプーンを置いてくれた。ああ、気づかいのできる店員さんだな。私は深夜2時なりの温かい気持ちになった。

 コンクリートジャングルにたたずむ深夜のコンビニで、メルヘンなカップスープを購入する男に優しい店員がスプーンを渡してくれている。きっとこの店員は、

深夜にカップスープ飲むなんてカラダには悪いけど、まあ君の問題だし、口出しはしないよ。でもさ、せっかくならこのスプーン持ってけよ。そうすれば洗い物しないで、すぐに寝られるだろ? いい夢見ろよ

的なマインドで、私にこのスプーンを提供してくれたのだ。

 ああ、ありがとう店員。また深夜に来るね。今度は差し入れでも持ってくるからさ。そう思ってウインクした瞬間だった。再び店員がレジの内側をゴソゴソとなにやら探している。さすがに私もまた「?」の顔になった。なに、これ以上なんだって言うんだよ。まさかカラーボール? コイツ……急に手のひら返しか!? 私は身構えた。なにも悪いことをしていないのに、ペイント弾を投げつけられたらたまったものではない。やがて店員がソレを取り出した。優しい手つきで、ソレをカップスープの上に置いた。

 スッ……。

 私はゆっくりと顔を上げた。店員と目が合う。店員は、私に向かって優しくほほえんだ。

 私はおそるおそるカップスープ、スプーン、ストロー、そしてパンと牛乳とタバコをレジ台から手に取り、煌々と輝く深夜のファミマをあとにした。

香川照之氏=ストロー

 さて、おわかりのとおり上記の店員は、おそらくカップスープを前に素早く思考をめぐらしたはずだ。

 目の前に立つ男は、深夜2時にカップスープを買ったけれど、こいつは一体このスープをどこで飲むのだろう、と。

 普通に考えれば、深夜にカップスープを買った客は、家でそれを飲むはずである。だってパンも一緒に買っているのだし、おそらく眠れない夜で、ちょっと小腹が空いて、コンビニに夜食を買いに来たのだろう、と。

 しかし例の店員は違った。おそらく彼はこう考えたはずだ。この男はもしかして、帰り道に歩きながらスープを飲む気ではないか? そうなった場合、スプーンですくって飲むのは現実的ではない。服にこぼれちゃうかもしれないし、だいいち飲みにくい。そして彼が導き出した、深夜2時にカップスープを買い求める客に対する最適解がストローだったのだ。

 これならば、仮に歩きながらでもスープを飲むことができる。しかも彼は、通常のマニュアル通りスプーンを提供した上で、そこに加える形でストローを渡してくれた。これすなわち、モーターショーの記事のおける香川照之氏と同じ現象である。

 本来の記事の形(=カップスープにスプーン)を崩すのはいやなので、横に「スッ……」とストロー(=削除できる形で補足情報)を添える。両刀使い、ちょっとした気づかいである。これならば、「おい!なんでスプーンだけなんだよ!俺は歩きながらスープを飲むんだから、ストローも最初から渡せよ!」という変わり者をディフェンスすることができるし、また、「え?なんでストローなんですか?普通、カップスープを買ったらスプーンを付けませんか?」という至極正論を吐いてくる者の両者に対応が可能だ。

 つまり彼は、「悩むくらいなら加えたろ」という私と同じ精神で、カップスープにストローを付けてくれたのである。べつに渡されて悪い気はしないし、もし客が必要なければストローだけ断ればいい話である。実際、私もべつに断るほどではないし、家にあっても困らないかも、という気持ちでストローをありのままに享受した。結局使い道は思い浮かばないけれど、繰り返しになるが、べつに悪い気はしないのである。

 これがたとえば、「ファミチキにストロー」とかなら話は別だ。悪ふざけ以外のなにものでもない。しかし今回のカップスープは液体だし、普通に考えればストローで飲むなんておかしな話だが、もしかしたら私が異常にリップクリームに対するこだわりのある人間で、唇をあまり使いたくない可能性もある。

 そう考えると、あのコンビニ店員の気づかいはかなり上級だ。モーターショーの香川照之氏は、普通に考えれば「書いた方がおもしろい」に分類されるけれど、カップスープにストローの組み合わせは、なかなか思いつかない。創造性を感じる…。

 よし、次は深夜に訪れて、お母さん食堂の「豚の角煮」を買ってみることにしよう。煮汁に対してストローをもらえるか、今から楽しみである。





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