とじる

日光が苦手です

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魔法

キュッキュッ、と摩擦音と、恐らく摩擦熱だけではない熱気、ボールの弾む音、体育館、朝から晩まで毎日体育館、息苦しいほどの夏の圧迫感。気分が悪い。ふと、ねえ、と声がした。無視して薄目を開けたまま適当に手を叩いていると、 「おい、お前だよ。桐朋の5番」 怠そうな声のする方を見ると、人懐こそうな猫背の男が俺に話しかけてきていた。まさに今俺の高校が目の前で戦っている、市川高校の長袖ジャージを着て、律儀にもジップを一番上まで上げている。当たり前だけどジャージなんか誰も着てない、萌え袖がど

    • やばいファン

      「私、結婚するの。」 久しぶりに実家に帰ってきて開口一番、娘はそう言った。 「へえ?相手はどんな人なんだ?」 両親への挨拶もなく結婚を決めるなんてどんな馬の骨の野郎だ、そう言いかけるが、本音を押し殺して顔色ひとつ変えずに言う。この時代だ。21世紀ともなれば、そんな結婚の形もあるのだろう。 「そんなにびっくりしないでよ。私もう22歳だよ。」 「驚いてなどいないが。質問に答えなさい。」 どんな相手であろうと受け入れよう、受け入れるべきだ。俺はこの家の大黒柱だ、ちょっとやそっとのこ

      • 雨天決行

        ※わりとBL 一色先輩がフルートを吹くと、乾いた音楽室に雨が降る。一色先輩が話す言葉だけは、楽器の音にかき消されないではっきりと耳に届く。一色先輩が笑うと、俺は視線を逸らしてしまう。 高校は吹奏楽の強豪校である桜川高校を受験した。中学の始めから続けてきたホルンは唯一の特技だった。桜川高校の演奏は動画サイトで聴いて、部員の楽しそうな顔とハイレベルな演奏、アドリブ満載のソロに惹かれ、どうしても桜川高校に入りたくなった。桜川は、強豪校でありながら吹奏楽推薦枠がなく、偏差値も高い

        • Silence

          大学へ向かう途中、突然肩を叩かれて私が振り返ると、小柄な眼鏡の女性が無言で私を見つめていました。 戸惑いながら私は彼女を見ました。白銀にも見える明るい金髪とは裏腹に、眼鏡の奥の無愛想な瞳は黒々としています。彼女は自分の両耳を指さしてから、胸の前で両腕を交差させ×を作って首を振りました。 私はしばらく考えて、ああ、耳が聞こえないのですねと言いました。彼女は私の言ったことを口の動きで理解したらしく、軽くうなずきました。そして、か細い声で口から漏れた、でんち、えき、みちという言葉が

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          半月

          俺は、この田舎町にとらわれて、出られない。 俺は、二年前に大学を卒業して、地元に帰ってきて母校の小さな中学校で国語と社会の教師をしている。全校生徒は八人。学校までは実家から歩いて二十分だ。あぜ道を通って河川敷に出て、左にずっとまっすぐ行けば、木造の古びた校舎がある。そこが、第一中学校である。俺が子供だった頃は第二中学校が少し歩いたところにあったのだが、何年か前に生徒数の少なさを理由に第一中学校に合併されたらしい。 父さんは俺が大学生のときに持病をこじらせて亡くなった。大学に

          図形研究部の話

          高校一年生の四月から六月の間だけ、私は「図形研究部」に入っていた。退部したあと、部員の先輩達には一度も会わないまま卒業してしまった。今インターネットで検索しても母校の図形研究部のことは出てこない。それどころか、図形研究部という言葉自体ネットのどこにもない。しかし図形研究部での時間は私の人生において、最も心地よく、最も幾何学的で、確かなものだった。 ある日部室に入るとトモちゃん先輩と翔先輩が黒板の前で何か言い合っていた。 「あ、山下さん、いらっしゃい」 「何の話してるんですか

          図形研究部の話

          トイレの神様と放送室

          中学生の時、放送委員を何度かやったことがある。 放送委員は、私物のCDを持ってきて、給食時間に流すという役割だった。いわゆる「お昼の放送」だ。当番制で、二週間に一度ぐらいのペースで放送委員の仕事の順番が回ってくる。三人一組なので他の二人もCDを持ってくることもあったのだけれど、あまり枚数を持っていないと言って、私が持参することが多かった。他の二人は、時々「友達に借りた」と言ってHoneyWorksのCDなどをかけることが多かった。 私はというと、星野源や米津玄師、[Ale

          トイレの神様と放送室

          赤福とひいおばあちゃん

          山口県のド田舎に、私のひいおばあちゃんが住んでいた。家の周りは、見渡す限り畑と山があった。古くて広い家だった。猫が住み着いていた。 私は二回だけ会ったことがあった。いずれも小学生のときだったような気がする。記憶が曖昧なので、矛盾点があるかもしれない。それと、山口の方言がよくわからないので、雰囲気方言を使わせていただくが、目を瞑って欲しい。 近所に誰も住んでいないので、窓もドアも全開だった。家の中によく大きな虫がいて、親戚はみんなそれを全く気にしていなかった。 ひいおばあ

          赤福とひいおばあちゃん

          思えばサル山が好きなガキだった

          幼稚園のとき、遠足で動物園に行ったことを覚えている。 その翌日、幼稚園で「昨日見たどうぶつさんの絵を描いてみましょう」と先生が言った。 友達がゾウやキリン、カバの絵を描く中、幼稚園児だった私はサル山の絵を描いた。サルではなく、サル山。山に登るたくさんのサルの絵だった。 絵は全員分が壁に貼りだされた。私がそれをひとりで眺めていると、先生が「遠足の絵は毎年描いてもらってるけど、サル山の絵を描いたのは今まででとじるちゃんだけだよ」と言った。 今思い返せば、その頃から人間や人間に

          思えばサル山が好きなガキだった

          嫌いな男の名前でTwitterをしていた話

          小学四年生まで、私は金沢市という「石川県の中でイチバン都会なところ」に住んでいた。少し歩けば、金沢駅や、香林坊という栄えた街があって、少し歩けば、城跡や21世紀美術館がある。しかし違う方角へ少し歩けば田んぼが広がっている。「石川県でイチバン都会なところ」はそんな場所だった。新幹線はまだ開通していなくて、人が少なく、空気が綺麗で、私の住んでいたマンションの七階の窓からは白山という日本で90番目に高い山が見えていた。 その金沢市の中の、小さな小さな街では、私は抜群に頭が良く、ス

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