嫌いな男の名前でTwitterをしていた話

小学四年生まで、私は金沢市という「石川県の中でイチバン都会なところ」に住んでいた。少し歩けば、金沢駅や、香林坊という栄えた街があって、少し歩けば、城跡や21世紀美術館がある。しかし違う方角へ少し歩けば田んぼが広がっている。「石川県でイチバン都会なところ」はそんな場所だった。新幹線はまだ開通していなくて、人が少なく、空気が綺麗で、私の住んでいたマンションの七階の窓からは白山という日本で90番目に高い山が見えていた。

その金沢市の中の、小さな小さな街では、私は抜群に頭が良く、スポーツもできて絵も上手だった。全国模試では学習塾に行かずとも県内三位で、毎年開かれる絵のコンクールで入賞しては魚の匂いがする地元の市場に飾られて、私は特に天狗になるでもなくそれを当然だと思っていた。運動会の応援団を引き受けたり学級委員に立候補したりもした。男子にモテまくり、女子の友達も多かった。私の人生のピークだった。

しかし現実は甘くなかった。私は親の仕事の都合で小学四年生のときに東京の小学校へ転校した。転校するとき、何人かの男子に告白されて、今までありがとうと断った。東京はビルが高くて電車が多い。そして東京のお金持ちな家の小学生は、中学受験のために学習塾に毎日のように通っていて格段に勉強ができる。県内三位からクラスで五番目ぐらいの頭の良さに落ち、足の速さも、毎年選抜リレーに選ばれていた金沢住みの頃と違ってクラスの女子の中で五番目で、私は完全にアイデンティティを失った。

そんなある日、クラスの男子である長谷川圭(仮名)に、こう訊ねられた。

「とじるってさ、石川いたとき、モテてたの?」

その頃私は、ゴリゴリの金沢弁と、よそ者とは思えない堂々とした立ち振る舞いのせいで、主に女子から陰湿ないじめを受けていた。しかしそれがいじめだったと気がついたのはつい最近のことで、当時私はそれを全く気にしていなかった。だから素直に答えた。

「うん、モテとったよ。」

長谷川は、それに対して半笑いで、こう言った。

「石川県ってブスばっかなんだね。」

私があまりのショックで一瞬何を言われたのかわからず無言でいると、長谷川は「って渡辺(仮名)が言ってたよ」と小声で付け足した。
私はこの時、長谷川に対して、生まれて初めて憎しみという感情をおぼえた。

長谷川圭。とても小柄で女の子のような顔をしていて、ムードメーカーである渡辺にいつもくっついて歩く。成績は良いとも悪いとも聞いたことがなく、人並みに運動もできて、人並みに先生に反抗する。そんな小学生だった。

金沢市の学校と東京の学校では女子のモテ基準に大きな差があった。金沢では目立ちたがり屋で頭のいい、私のような子がモテる。東京の小学生はませていて、とにかく顔が可愛い子がモテていた。そんなことを知る由もない長谷川は「とじるがモテるということは石川の女子はブスばかり」だと勘違いしていた。

「ブスじゃないのに何故ブスだと言われたのだろう」と思ったから傷ついたわけではない。私はそんなに強くたくましい精神力の持ち主ではない。「あっ、私ってブスなんだ」と強く認識してしまったから傷ついたのである。そして、私は渡辺と友達だったから、およそ渡辺がそんなことを言うはずがないということもわかっていた。

私はそれから小5、小6、中1と長谷川とクラスが同じだった。表面上はにこやかに「普通のクラスメイト」を演じ、長谷川はすっかりそのことを忘れていたようだが、私は長谷川を見る度に「末代まで呪ってやる」、金沢弁で言うと「くたばりまっし」と口の中で唱えていた。

そして中学二年生のとき、私は親にスマホを買い与えられた。初めてのスマホ。私はとあるYouTuberにハマった。そのYouTuberを追うためにTwitterを始めようと思った。ユーザーネームをつける時、少し悩んで、何を思ったか私は、「長谷川圭」に決めた。長谷川に「ブス」と言われてからは四年が経っていた。

その名前で荒らしをしていたわけでも、悪口をツイートしていたわけでもない。ただその名前でYouTuberのファンをしていた。フォロワーには「長谷川」と呼ばれていた。応援しているYouTuberにも「長谷川さん」と呼ばれ認知されていた。

それから中学三年生になって、受験勉強が忙しくて動画が見られなくなり、「長谷川」と名付けたファンアカウントは一年ほどで消してしまった。しかし私の中で「私をブスと罵った長谷川圭」は生き続けている。仮に現実世界の長谷川が死んだとしても、生き続けるだろう。
それ程にこの呪いは、私に強く絡みついて離れないのである。このnoteを読んだ皆さんは、言葉には気をつけまっし……

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