トイレの神様と放送室

中学生の時、放送委員を何度かやったことがある。

放送委員は、私物のCDを持ってきて、給食時間に流すという役割だった。いわゆる「お昼の放送」だ。当番制で、二週間に一度ぐらいのペースで放送委員の仕事の順番が回ってくる。三人一組なので他の二人もCDを持ってくることもあったのだけれど、あまり枚数を持っていないと言って、私が持参することが多かった。他の二人は、時々「友達に借りた」と言ってHoneyWorksのCDなどをかけることが多かった。

私はというと、星野源や米津玄師、[Alexandros]のCDを持っていたにもかかわらず、妙な尖り方をしていたのであまりそれらは流さなかった。何を流していたかというと、母に借りたDREAMS COME TRUEや松田聖子のCDを流すことが多かった。

特に懐メロが好きというわけでもなかったし、嫌いというわけでもなかった。何なら、流行の音楽が好きだったかもしれない。まさに「少し音楽好き」の中学生らしく、先述したアーティストやKANA-BOON、クリープハイプ、RADWIMPSが好きだったし、22時から0時まで毎日放送しているラジオであるスクールオブロックを欠かさず聞いていた。

今思うと、自分の好きなものを校内放送で全校生徒に聴かせるのが嫌だったのだと思う。恥ずかしいというよりは、何とも言えない嫌悪感、不可侵領域に土足で踏み入れられることへの恐怖があった。

好きな音楽や映画を頑なに教えてくれない友達がいる。「自分の神様を見せたくない」と彼女は言う。私は人の神様を汚さないように、感想を言う時はふわっとしたことばかり言うようにしている。「ルックバック」のような頭をぶん殴られるような作品を見た時も、「百合ですか!?やった!」ぐらいの少し的外れで、かつ人の感想や感情を踏みにじらないようなことを言っている人になりたい。

お昼の放送の話に戻る。先程までは中学の話をしたが、小学生の時の話も書こうと思う。

小学生の時は、CDを持参するのではなく、放送室に置いてあるCDを流す形式だった。放送室前に曲の一覧表があり、置いてあるリクエストボックスに自分の名前とリクエストの曲を書くと、放送委員に流してもらえる。

定番曲は、「リンダリンダ」や爆風スランプの「Runner」だった。先生たちの趣味全開のリストの中に、植村花菜の「トイレの神様」があった。

今確認したところ、トイレには女神様がいるから、トイレを綺麗に掃除したら美人になれるんやで。そう教えてくれたおばあちゃんとどんどん疎遠になる、と言う内容の歌詞だった。でも、歌詞の内容なんてどうでもよかった。

当時小学生のクラスメイトは、「トイレ」という単語を面白がって、クラスで「いじられ役」と言われている子の名前で「トイレの神様」を勝手にリクエストする遊びが流行した。
「トイレの神様」が給食の時間に流れるたびに、「いじられ役」の子が誰だよ俺の名前でリクエストしたのー!とわざとらしい大声を出すたびに、私は何だか胸が苦しかった。

私はクラスでカースト上位の、五人組の女子グループにいた。と言っても、二人組を組む時は他の四人がすかさず組んでしまうので必ず余ってしまっていた。何となく勉強はできる方だったので、頭のいい奴も一人はグループに入れておこう、みたいな理由でいさせてもらっていただけ。そういう立ち位置だったので、とてつもなく居心地が悪かった。

ある日、グループのリーダーである理奈ちゃん(仮名)が言った。
「トイレの神様のやつ、うちらもやろうよ。」

私は反対しなかった。
ターゲットは「なんかキモいから」「弱そうだから」などの理由でクラスメイトの「高山」という男子に決まった。私たちは、二時間目と三時間目の間の20分休憩の時に、放送室の前に足を運んだ。私はその時の光景を、里奈ちゃんの一言一言を、今でもよく覚えている。

里奈ちゃんがリクエスト用紙と鉛筆を手に取り、名前の欄に「高山正樹」、リクエスト曲の欄に「トイレの神様」と書き込む。それを私たちは固唾を呑んで見守っていた。

「いいよね?」
里奈ちゃんが用紙を持ってこちらを見た。少し顔が引き攣っていた。その時になって里奈ちゃんも怖くなったのだと、これは一種のいじめだと気づいたのだと思う。でも、私たちが見ているから後に引けないんだと思った。やめようよ、と言い出す勇気がある者はいなかった。

里奈ちゃんはもう一度、いいよね、と聞いて、引き攣った半笑いでリクエストボックスに用紙を入れた。
「逃げよ」
里奈ちゃんがそう言うや否や、私たちは廊下を走ってその場から逃げ出した。そこからの記憶は、ない。

それから数日後のお昼の放送で、「次に流す曲は、高山正樹さんのリクエストで、『トイレの神様』です」と流れた。
里奈ちゃんはこちらを見てにやけていた。もう顔は引き攣っていなかった。高山は、何も言わなかった。私はというと、ひとり罪の意識で震えていた。

今でもあの時走った廊下の光景が夢に出てくることがある。夢の中では、決まってうまく走れない。「トイレの神様」を耳にするたびに、自分がいつでも「殺す側」になる可能性があるのだと言う恐怖に包まれる。その十字架はきっと、一生背負い続けなければならないのだと思う。

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