春の東北湯治②【高東旅館にて、フォロワーに会う】
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高東旅館で私を待っていたのは、SNSを通じて以前から連絡を取っていた「Y」さん。ソーシャルスキルが異常に低い私にとっては、顔も名前も見えぬ方とお会いするのは多少抵抗があった。
だが彼女が以前から私のブログを応援して下さり、私よりもずっと前からこの宿に通っていたので、挨拶だけでもという運びになった。
廊下の向こうから、Yさんがこちらにお見えになった。
Yさん 「ヨシタカさん?」
私 「初めまして」
Yさん 「お体大丈夫ですか?」
私 「ええ、痛み入ります。川の方へ行きましょうか」
私たちは宿からすぐの湯沢という桜並木の小川へ歩いて行った。
前日からこちらに宿泊していたYさん。昨夜は凄い雨だったらしい。この日は蒼天が広がり、開花が一気に進んだようだ。
土手はぬかるみ足元が悪かったが、桜は今まさに百花繚乱を迎えようとしていた。川下へ向かうと河川敷に公園があり、そこのベンチに腰を掛けた。
いつもの文面から伝わるように、Yさんが春風の様に温厚篤実な方だったので安心した。高東旅館に惹かれ合った私たちは、すぐに相好を崩し缶ビールを飲んだ。
この日はまだ風が冷たく、身体が冷えないようにと顧慮いただき30分ほどして旅館へ戻る。Yさんも御一人なので、干渉し過ぎぬようにと気を付けるつもりが、その後も館内の談話室でずっと話していた。
聞くと彼女もむち打ちの治療のために温泉を回り始め、高東旅館に辿り着いたという。そして続けて口をついて出る旅館の数々、私が湯治で利用する宿とそのまま服を着せたように一致した。
川渡(鳴子温泉郷)、湯宿(群馬)、肘折(山形)、沓掛(長野)、板室(栃木)・・・泊まる宿もほぼニアだ。勿論互いの跡を追った訳ではない。痛みに「効く」温泉を求めると、何故かこの辺りに辿り着く。ちなみに湯の成分はバラバラだが、何か通底があるのだろうか。パッと思いつくのは、「安い」というくらいか。
Yさんは翌朝バスで東京方面へと帰って行った。きっとまた、どこかでお会いすることだろう。
彼女を見送った後、廊下で女将さんと二人になった。
私 「先日の地震、大丈夫でしたか?関東の方も凄い揺れでしたが」
女将 「地盤が安定しているから、建物とかは全く問題ないよ」
「大震災の時も、玄関のこけしが倒れたくらいだったから」
私 「そうでしたか。源泉は?」
女将 「絶好調なのよ。いくら絞ってもどんどん出て来ちゃって」
いつだったか、女将さんから聞いた話を思い出した。
ここ高東旅館も、過去に一度だけ廃業の危機に瀕したことがあるという。それがあの東日本大震災の時。廊下にひびが入った程度で、建物の倒壊などは幸い起こらなかったそうだ。
一方で、滾々と湧き続けていた「東五郎の湯」が出なくなってしまったのだという。温泉宿が商売道具の湯脈を失っては畳むしかしない、そう覚悟した。だがそれから3日間の沈黙の後、今度は捲土重来の如く「ドカンッ!!」と再び源泉が噴き出したという。
地震による湯の変化は度々発生しており、湯が出なくなり営業停止を余儀なくされた施設も数多い。最近では、温泉ファンの間では知らぬものはいない「七里田温泉 下ん湯(大分)」が存続の危機を迎えている。
日本一とも言われる泡付きの湯は、私も飛行機とレンタカーを乗り継ぎ3度入りに行ったことがある。厳密には湯はまだ死んではおらず、過日の地震の影響で湯量が10分の1になってしまったそうだ。復活に向け、湯脈や配管の調整をしているとの情報は入って来た。
高東旅館の湯は日によって変化する、この日は不易の緑茶色に細かい真綿の様な湯花がタイルの目地に沈殿。湯もみをすると真綿が攪拌され、渾然一体となり濁りがかかった。
以前こちらで同宿だった湯治の達人「Sさん」の教えに倣い、1日4回の入浴を繰り返し、じっくりと身体の痛みを治めにいく。幾多の災害を乗り越えた高東旅館の湯に、感謝を込めて。
令和4年4月20日
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