夏の湯治⑬【鈴森の湯~湯宿温泉】
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例年体調が崩れやすい梅雨時。冬の酷寒も身体に堪えるが、気象病による頭痛と怠さはこの時期が最も深刻。航空機が着陸態勢に入った時のように、左こめかみに血管が浮き激しく脈打つ。全身痛と共にこれが終日。
長雨が続こうものなら針の筵状態となる。
過去に市販の頭痛薬を服用していたが、結局薬毒だけを蓄えただけだった。頭痛が悪化し神経も緊張、全身痛も悪化するという悪循環に陥る。
長野から始まった本旅。ほぼ毎日灰色の雲が覆い、時折バケツをひっくり返した様な雨が降った。だが徹底した温湯抗戦により、例年に比べ痛みは軽症、小康状態を辿っている。
身体が火照ると温湯浴槽に長く浸かり体温を調節。重度の不眠症から通常2時間に一度目が覚めるが、晩春に湯治に発って以降は徐々に安定、4時間ほど眠れていてた。あとは、この状態をどれだけ維持できるかが肝。
次回の大学病院での検査は7月末。白血球をはじめ、膠原病の一種に見られる抗体や鉄過剰(フェリチン高値)などを確認し、最悪の場合骨髄搾取や肝生検などの外傷を伴う検査も視野に入れなければならない。
1週間同舟した母と別れ、ここからの旅程はより湯治色の強いものとなる。
まず立ち寄ったのは谷川岳PAのほぼ真下に位置する「鈴森の湯」。
同町の「川古温泉」や「きむら苑」も温湯名湯として立ち寄りの候補に挙がったが、生憎この日も雨が降っていた。両湯共に露天風呂がメインとなるため見送り。
<川古温泉の過去記事はこちら>
みなかみ町で50年以上飲食業を営んでいたというオーナーが開業したという鈴森の湯。阿能川沿いに建つ施設には、釣り堀やバーベキュー施設も併設されておりファミリー層にも人気の施設(※今年は閉鎖)。
食事処もあり、源泉を利用して打ったという蕎麦やうどんも絶品だという。レジ前には炭火鉢が常にスタンバイされており、注文を入れてから岩魚が焼かれる。
浴場には男女それぞれ、源泉浴槽(35度)、加温浴槽(42度位)、露天風呂があり、毎分450ℓがかけ流し。施設の規模を考慮すれば十分にお釣りがくる豊富な湧出量だ。
滝を目の前にした露天風呂の景観は特に素晴らしく、加温源泉も温めに設定されており長湯で楽しめる。施設内で一日中楽しむことができ、子供たちは大喜びだろう。
勿体ないと言われれそうだが、私はこちらに行くと露天には出ず内湯の源泉浴槽(35度)でほとんどの時間を過ごす。僅かに石膏臭のする源泉を長湯でジワジワと効かせる。胸元ほどの深さがあり、足をクロスし脱力するとほぼ空中浮遊状態。低体温症にならぬ程度に浸かり、時々上がり湯代わりに加温浴槽へ。2時間程度の交互浴で完全に仕上げた。
ラフティング施設が並ぶ利根川沿いエリアや、日本屈指の高さを誇る猿ヶ京バンジーなど、レジャースポットからは少々離れるが、どうせならば良い源泉で汗を流したいところ。誰と来ても満足度が高いので、割と友人や同僚と来る際にも多湯している。
鈴森の湯を出てからは17号方面へ、最もお世話になっている「湯宿温泉 金田屋」へ。半年振りにお会いしたご主人。再会してすぐに私の変化に気付いてくれた。
ご主人 「随分顔色が良くなりましたね 前と全然違いますよ」
「身体も一回り大きくなりましたね」
前訪は発作の後だった、1週間絶眠絶食状態を経験し、身体はやせ細り、2階へと向かう階段を這うように上がっていたほどだった。
「心配していましたよ あの時は大変でしたね」
やはり落ち着くこの宿とご主人の歓待。土曜だったこの日は満室だったようだ。目立った観光地もなく、漫画家つげ義春氏の「ゲンセンカン主人」のモデルとなっている少々鄙びた温泉街。この地に安息を求めて、多くの客が訪れる。皆一人旅の様だった。
私 「ご盛況の様ですね」
ご主人 「お陰様で 皆一人旅です」
「人生は一人旅 生まれた時も死ぬときも一人ですよ」
これからも一人旅のニーズは増え続けるだろうと予測するご主人。
この旅館は、酒と一人旅を愛した歌人若山牧水が投宿した地。実際に牧水が泊まった蔵座敷がそのまま現存され、“牧水の間”として開放されている。
久々にこの間で暫く感慨に耽る。彼の名著みなかみ紀行にて残した一文が追想された。
”私の一人旅はわたしのこゝろの旅であり自然を見つめる旅である”
孤独な病との戦いの末に辿り着いた温泉治療。まるで牧水に引き寄せられるように、私はここにやってきたかに思われた。
翌朝、出立の瞬間。
ご主人 「お元気になられて良かった またお越しください」
私 「ええ、あまり悪化する前に来ます」
笑顔で見送って下さったご主人。75歳を超え湯守として達観の域に入ったその佇まい。まるで、牧水の残映が語り掛けるようだった。
令和3年6月27日
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