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生涯かけて繰り返し読みたい3冊

たった一度の読了で、書かれた内容のすべてを理解できる。
そんな人間になれたら話が早いのかもしれません。

しかし、好奇心のままに乱読を重ねていると「これは絶対に今後も繰り返し読むべきだ」と思える一冊に巡り会う、ギフトみたいな瞬間が訪れることがあります。
今回は、2024年3月時点の私が考える、これからも何度も読み返したい本の話です。




1.『喜嶋先生の静かな世界』森博嗣

大学四年生で論文を書くために配属された講座で出会った「先生」との出来事を中心に描かれる、森さんの自伝的小説とも言われている作品です。
と同時に、歳を重ねることに伴う、喜びと喪失を描いた内容でもある。だからこそ読み返す度に胸を打つ場面が変わります。

どちらへ進むべきか迷ったときには、いつも「どちらが王道か」と僕は考えた。それはおおむね、歩くのが難しい方、抵抗が強い方、厳しく辛い道の方だった。困難な方を選んでおけば、絶対に後悔することがない、ということを喜嶋先生は教えてくれたのだ。

235頁より引用

価値観からその後の人生まで、決定的に変えてしまう。
そこまで影響を受けるほどの大きな出会いって、生涯を通しても決して多くはないものです。しかしそれほど強烈に憧れを抱いた人がいる(いた)なら、理系とか文系とか関係なく刺さるものがあるんじゃないかな。



2.『禅と日本文化』鈴木大拙

世界的な仏教哲学者の鈴木大拙さんが、外国人向けに英語で書いたものを邦訳した一冊なので、本当は原著で読むほうが理解しやすいそう。
私は英語力が壊滅的なので日本語で読むしかないんですが、初めて読んだ時の「分かるけど理由を説明できない」の感覚が忘れがたくて、少しでも近づきたいがために再読を重ねたい一冊です。

禅において言葉が要るとしても、それは売買における貨幣と同じ価値のものである。寒さを防ぐために貨幣を着る訳にゆかぬ。饑渇きかつを充すために貨幣を飲む訳にゆかぬ。

第一章『禅の予備知識』より引用

上記引用に顕著ですが、そもそも言葉で理解する次元のものではない「禅」を知るために、言葉の連なりで出来た本で読むのも根本的に矛盾してますよね。
(それが言葉の限界でもあるんですが)
でもその「矛盾」を踏まえてもなお、確かに心の琴線に触れるものが幾つもある。言葉を超えた会得のために、これからも繰り返し読みたい一冊です。



3.『八本脚の蝶』二階堂奥歯

この世に真に「博覧強記」と称するに相応しい人がいるとしたら、私にとってのそれはアルベルト・マングェル氏と二階堂奥歯さんの二人を指します。
本書は、生きた日数よりも多くの本を読み、思惟しいと発信の糧にした、二階堂奥歯さんの二年間の日記です。

いま私が手渡されたこのようにかそけくうつくしいものを消してしまわないように、そしてだれかにまた手渡せるように。そのためだけにでも私は生きていこう。

二〇〇二年二月二七日(水)より引用

自ら人生を終える直前の言葉まで遺されているので、誰にでも勧められる一冊ではないのも確かです。
でも「読む」ことは「言葉の姿をした書き手」と場所も時代も超えて出会うことでもあるから、私は何度でも読み返したい。その知性に打ちのめされる痛みごと引き受ける気持ちで。



おわりに

今回のタイトルには「生涯」という強い表現を使いましたが、一方で「繰り返し読み返したい」とまで感じられる思い入れの強さを抱く対象は、時の経過によって入れ替わるのが自然なことだとも思っています。
人間が生き続けるのはそういうことだ、とも。

だから「今」を記録するつもりで書いてみました。
いつかラインナップに変化が起きたら、今とは違う自分になっていることの証左でもあるので、それもまた楽しみです。

お読みいただき、ありがとうございました。
今日も良い日になりますように◎


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