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言葉は、春風のように

その言葉をくれたのは、
当時の上司だった。

課長補佐  57歳。
周囲からの印象は
一言でいうと「気難しい人」
だったと思う。


細かい点まで目が届き、
不明な部分を曖昧にしない
責任感の強い方で

整った字を書く人だった。


「今日は仕事の話じゃないんだ。ここにいると聞いたから、ひとつ伝えておきたいと思ってね」

復職するための準備期間として一週間ほど、
私は事務室から少し離れた別室で
軽作業をしていた。

補佐はそこへふらりと現れた。


差し出された1枚のA4用紙。
タイトルには

『わたしからあなたへ伝えたいこと』

と書かれていた。


「ちょっと、目を通してくれますか?」
補佐はそう言って
斜め向かいの席についた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしからあなたへ伝えたいこと

                                  
自分を一番だいじにすること。
自分をだいじにできるのは自分しかいないと、強く心に決めること。

自分がどうありたいのか、
どのような自分でいたいのか、
自分で決めること。

自分がどうありたいか、を考えること。
わからないときは、答えをさがしながら、
自然にわかるまで気長に待つこと。
自分が何をしたいかを考えること。
わからないときは、したいことが出てくるまで気長に待つこと。

自分がしたいこと、元気が出ることをすること。

自分で元気が出るように、
自分を自分でコントロールすること。
どうしたら元気が出るのか、自分と相談すること。
元気が出ることをしてもいいと考えること。
元気が出ないことはしなくてもいいと考えること。

しなくてはいけないことを、減らすこと。
しなくてはいけないことを、時にはしないこと。
しないことも「あり」だと思うこと。

しなくてはいけないことも、していない人が
世の中にはたくさんいることを知ること。
しなくても、特に非難されたりしないことを知ること。
(時には非難する人もいますが、何をしても、しなくても、非難する人はいます。)

自分は自由だということを知ること。
自分のことは自分で決めていい。

つまり、自分を一番だいじにすること。

そして、それができたら、
それから他人もだいじにすること。
みんなで幸せになりましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は紙から目を上げ
補佐のほうを見た。

泣いてしまったらまた
心配をかけてしまうと思ったけれど

気づけば涙は
ポロポロとこぼれていた。


「いいんですよ、
あなたはもっと自分に甘くなっても」

それはちょうど
春風みたいに、
穏やかな口調だった。





補佐のお姉さんが、もう十数年も
うつ病に苦しんでいると
その時初めて知った。
きっかけは旦那さんの死だったそうだ。

「姉もそれまでは仕事に出たり、旅行が好きだったりしたんだけれどね。旦那さんが亡くなってからは、何を話しても『私には出来ないの。』としか返ってこなくなって。心の病は、深くなると、帰ってくるのが難しくなるんですね。」

どこか
遠くを見るような目だった。
補佐は話を続けた。

「あなたはまだ若い。色んな生き方を選ぶことが出来る。仕事のせいで心が本当に無くなってしまう前に、ここに書いている言葉を思い出してみてください。
無理する必要はありません。いつでも、自分の心が楽でいられる方を、選んでいいんです。
それからもし、復帰にあたって、係のみんなからどう思われているか、不安があるのだったら、それは全く、心配いりません。みんな、あなたが元気になってくれることを願っています。安心してください。」

そう言って
補佐は部屋をあとにした。

私はそれからなんとか
順調に復帰をすることができた。

そうして2ヶ月ほど経った
3月のこと。
補佐は任期を終え、出向元である以前の職場へ
帰ることとなった。


最終出勤日、
花束を渡す役目は私に任された。

黄色と橙色のガーベラとかすみ草が
やわらかに揺れる花束。
時計は夕方の5時ごろを指し、
窓から見える景色が綺麗にたそがれている。


「たくさん、お世話になりました。
本当に本当に、ありがとうございました。」


そう言って私は
花束をそっと、補佐の胸の中へ手渡した。

みんなから見ると
ありふれた挨拶に思えるだろう。
でも、私のその二言には
溢れるほどの気持ちが込もっていた。

補佐からもらったこの言葉。

いま、
辛い気持ちを抱えている人、
自分を責めてしまう人、
我慢することに疲れている人にも
どうか届いてほしい。


やさしい春風のようなこの言葉が
心を穏やかな方向へ
導いてくれますように。


これからもあたたかい記事をお届けします🕊🤍🌿