言葉は、春風のように
その言葉をくれたのは、
当時の上司だった。
課長補佐 57歳。
周囲からの印象は
一言でいうと「気難しい人」
だったと思う。
細かい点まで目が届き、
不明な部分を曖昧にしない
責任感の強い方で
整った字を書く人だった。
*
「今日は仕事の話じゃないんだ。ここにいると聞いたから、ひとつ伝えておきたいと思ってね」
復職するための準備期間として一週間ほど、
私は事務室から少し離れた別室で
軽作業をしていた。
補佐はそこへふらりと現れた。
差し出された1枚のA4用紙。
タイトルには
『わたしからあなたへ伝えたいこと』
と書かれていた。
「ちょっと、目を通してくれますか?」
補佐はそう言って
斜め向かいの席についた。
*
私は紙から目を上げ
補佐のほうを見た。
泣いてしまったらまた
心配をかけてしまうと思ったけれど
気づけば涙は
ポロポロとこぼれていた。
「いいんですよ、
あなたはもっと自分に甘くなっても」
それはちょうど
春風みたいに、
穏やかな口調だった。
*
補佐のお姉さんが、もう十数年も
うつ病に苦しんでいると
その時初めて知った。
きっかけは旦那さんの死だったそうだ。
「姉もそれまでは仕事に出たり、旅行が好きだったりしたんだけれどね。旦那さんが亡くなってからは、何を話しても『私には出来ないの。』としか返ってこなくなって。心の病は、深くなると、帰ってくるのが難しくなるんですね。」
どこか
遠くを見るような目だった。
補佐は話を続けた。
「あなたはまだ若い。色んな生き方を選ぶことが出来る。仕事のせいで心が本当に無くなってしまう前に、ここに書いている言葉を思い出してみてください。
無理する必要はありません。いつでも、自分の心が楽でいられる方を、選んでいいんです。
それからもし、復帰にあたって、係のみんなからどう思われているか、不安があるのだったら、それは全く、心配いりません。みんな、あなたが元気になってくれることを願っています。安心してください。」
そう言って
補佐は部屋をあとにした。
*
私はそれからなんとか
順調に復帰をすることができた。
そうして2ヶ月ほど経った
3月のこと。
補佐は任期を終え、出向元である以前の職場へ
帰ることとなった。
最終出勤日、
花束を渡す役目は私に任された。
黄色と橙色のガーベラとかすみ草が
やわらかに揺れる花束。
時計は夕方の5時ごろを指し、
窓から見える景色が綺麗にたそがれている。
「たくさん、お世話になりました。
本当に本当に、ありがとうございました。」
そう言って私は
花束をそっと、補佐の胸の中へ手渡した。
みんなから見ると
ありふれた挨拶に思えるだろう。
でも、私のその二言には
溢れるほどの気持ちが込もっていた。
補佐からもらったこの言葉。
いま、
辛い気持ちを抱えている人、
自分を責めてしまう人、
我慢することに疲れている人にも
どうか届いてほしい。
やさしい春風のようなこの言葉が
心を穏やかな方向へ
導いてくれますように。
これからもあたたかい記事をお届けします🕊🤍🌿