mikovskaja

気が向いたときに、ゆっくり遠野物語を現代語訳していきます。素人なので誤訳、誤字脱字もあ…

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気が向いたときに、ゆっくり遠野物語を現代語訳していきます。素人なので誤訳、誤字脱字もあると思いますが、気づいたら直していきますね。

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  • 『遠野物語』現代語訳

    ゆっくり遠野物語。 ちくま日本文学全集『柳田國男』、青空文庫を底本としています。

最近の記事

遠野物語119

遠野郷の獅子踊(ししおどり)に古くから使われている歌の曲がある。村により人によって少しずつの相異があるけれど、自分の聞いたのは次のようである。百年あまり以前の筆写である。 ○獅子踊はそこまでこの地方に古いものではない。鎌倉・室町時代あたりにこれを輸入したものであることは知られている。 橋ほめ一 まゐり来て此この橋を見申みもうせや、いかなもをざは蹈ふみそめたやら、わだるがくかいざるもの 一 此御馬場このおんばばを見申せや、杉原七里大門すぎはらななりおおもんまで 門かど

    • 遠野物語118

      紅皿欠皿(べにざらかけざら)の話も遠野郷で語られる。ただ欠皿の方はその名をヌカボという。ヌカボは空穂(うつぼ)のことである。継母に憎まれたけれど神の恵があって、ついに長者の妻となるという話である。エピソードにはいろいろの美しき絵様がある。機会があれば詳しく書き記そう。

      • 遠野物語117

        昔々これもあるところにトトとガガがいて、娘の嫁入り支度を買いに町へ出で行くといって戸を閉め「誰がきても明けるなよ、はア」と答えて出ていった。昼のころヤマハハが来て娘を取って食い、娘の皮を被って娘になりきっていた。夕方二人の親が帰ってきて、「おりこひめこ居たか」と門の口より呼ぶと「あ、いたます、早かったなし」と答え、両親は買ってきたいろいろな支度の物を見せて娘がよろこぶ顔を見た。次の日、夜が明けた時、家の鶏羽ばたいて「糠屋の隅すみッ子こ見ろじゃ、けけろ」と啼く。さていつもとちが

        • 遠野物語116

          昔々あるところにこれもトトとガガとあり。娘を一人持っていた。娘を置いて町へ行くといって、誰がきても戸を明けるなと戒しめ、鍵を掛けて出でたり。娘は恐ろしくて一人炉にあたりすくんでいたところ、真っ昼間に戸を叩いてここを開けと呼ぶ者あり。開かずば蹴破るぞと脅すので、しょうがなく戸を明けたれば入ってきたのはヤマハハであった。炉の横座に踏ん張って火にあたり、飯を炊いて食わせろという。その言葉に従い膳を支度してヤマハハに食わせ、その間に家を逃げ出したところ、ヤマハハは飯を食い終って娘を追

        遠野物語119

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        • 『遠野物語』現代語訳
          119本

        記事

          遠野物語115

          御伽話のことを昔々という。ヤマハハの話最も多くあり。ヤマハハは山姥やまうばのことだろう。その一つ二つを次に記す。

          遠野物語115

          遠野物語114

          山口のダンノハナは今は共同墓地である。岡の頂上にうつ木を植えめぐらして、その口は東に向かって門口めいてみえる。その中ほどに大きな青石がある。かつて一度その下を掘った者がいたが、何も発見できなかった。その後、再びこれを試みた者は大きな瓶があるを見つけた。村の老人たちは大いに叱り、またもとのところに置いた。館の主の墓であろうという。ここに近い館の名はボンシャサの館という。いくつかの山を掘り割って水を引き、三重四重に堀を取り廻らせてある。寺屋敷・砥石森(といしもり)などいう地名があ

          遠野物語114

          遠野物語113

          和野にジョウヅカ森というところがある。象を埋めた場所であるという。此所だけは地震がないといって、近辺では地震の折はジョウヅカ森へ逃げろと昔より言い伝えられている。これは正確には人を埋めた墓である。塚のめぐりには堀がある。塚の上には石がある。これを掘れば祟りがあるという。 ○ジョウズカは定塚、庄塚または塩塚などとかいて諸国に多数ある。これも境の神を祀りしところで地獄のショウツカの奪衣婆(だつえば)の話などと関係あること『石神問答』に詳細に書いている。また象坪などの象頭神とも関

          遠野物語113

          遠野物語112

          ダンノハナは昔、館(たて)があった時代に囚人を斬った場所であるという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様で、村境の岡の上である。仙台にもこの地名がある。山口のダンノハナは大洞(おおほら)へ越える丘の上にて館址(たてあと)からの続きである。蓮台野はこれと山口の民居を隔てて相対している。蓮台野の四方はすべて沢である。東はダンノハナとの間の低地、南の方を星谷という。此所には蝦夷屋敷(えぞやしき)という四角に凹んでいるところが多くある。その跡はきわめて明白である。たくさんの石器が出土

          遠野物語112

          遠野物語111

          山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡(ひわたり)、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名がある。その近くにこれと相対して必ず蓮台野(れんだいの)という地がある。昔は六十を超えた老人はすべてこの蓮台野へ追いやる習わしがあった。老人はそのまま死んでしまうわけにもいかないので、日中は里へ下り農作して口を糊した。そのため今も山口土淵辺にては朝に野良仕事に出るのをハカダチといい、夕方に野良仕事から帰ることをハカアガリというという。 ○ダンノハナは壇の塙

          遠野物語111

          遠野物語110

          ゴンゲサマというのは、神楽舞の組ごとに一つずつ備えられる木彫りの像で、獅子頭とよく似ているが少し違う。たいへんご利益があるものである。新張(にいばり)の八幡社の神楽組のゴンゲサマと、土淵村字五日市(いつかいち)の神楽組のゴンゲサマとは、かつて途中で争いをしたことがある。新張のゴンゲサマが負けて片耳を失ったといって今もない。毎年村々を舞って歩くので、これを知らない者はいない。ゴンゲサマの霊験は特に火伏せにある。右の八幡の神楽組はかつて附馬牛村に行って日暮れ宿を取らせてもらおうと

          遠野物語110

          遠野物語109

          盆のころには雨風祭とて藁にて人よりも大きな人形を作って送っていき、分岐路に立てる。紙で顔を描き瓜で陰陽の形を作り添えたりする。虫祭の藁人形にはこのようなことはなく、その形も小さい。雨風祭の折は一部落の中から当直所を選定し、里人は集まって酒を飲んだあと、一同笛太鼓でこれを道の辻まで送っていく。笛の中には桐の木で作ったホラなどがあり。これを高く吹く。さてその折の歌は「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という。 ○『東国輿地(よち)勝覧』によれば韓国でも厲壇(

          遠野物語109

          遠野物語108

          山の神がのりうつったといって占いをする人は所々にいる。附馬牛(つくもうし)村にもいる。本業は木こりである。柏崎の孫太郎もこれである。以前は発狂して魂を抜かれたようになり、ある日山に入って山の神からその術を得たあとは、不思議と人の心の中を読めるのは驚くばかりだ。その占いの方法は世間の者とは全く異なる。何の書物をも見ず、頼みにきた人と世間話をなし、その中でふと立って居間の中をあちこち歩き出すと思うほどに、その人の顔は少しも見ないで心に浮かぶことを言う。はずれることはない。例えばお

          遠野物語108

          遠野物語107

          上郷村に河ぷちのうちという家がある。早瀬川の岸にある。この家の若い娘、ある日河原に出て石を拾いているところ、見馴れぬ男が来て、木の葉とか何とかを娘にくれた。背が高く顔は朱色のような人である。娘はこの日から占いの術を得た。異人は山の神にて、山の神の子になったのだという。

          遠野物語107

          遠野物語106

          海岸の山田では蜃気楼が毎年見える。常に外国の景色であるという。見馴れぬ都の様子は、路上の車馬が多く人の往来も眼ざましいばかりである。年ごとに家の形など少しも違うことはないという。

          遠野物語106

          遠野物語105

          また世中見(よなかみ)というのは、同じく小正月の晩に、いろいろな米で餅をこしらえて鏡にし、同種の米を膳の上に平に敷き、鏡餅をその上に伏せ、鍋を被かぶせ置いて翌朝これを見る。餅についた米粒こめつぶが多いものがその年は豊作になるといって、早・中・晩の種類を選定する。

          遠野物語105

          遠野物語104

          小正月の晩には行事がとても多い。月見というのは六つの胡桃の実を十二に割って一度に炉の火にくべて一度にこれらを引き上げ、一列にして右から正月二月と数えると、満月の夜に晴れる月のはいつまでも赤く、曇る月のものはすぐに黒くなり、風のある月にはフーフーと音をたてて火が震えるという。何度繰り返しても同じようになる。村中どの家でも同じ結果を得るのは妙である。翌日はこの事を語り合い、例えば八月の十五夜が風となれば、その歳としの稲の刈り入れを急ぐのだ。 ○五穀の占、月の占多少のバリエーショ

          遠野物語104