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【社員インタビュー】引き受けた責任を全うする、新コーポレートユニット長

採用広報担当の髙橋です!
この連載は、チームが拡大する中の日々のドラマを発信したいという想いで立ち上げました!

トグルホールディングス(以下トグル)は、まちづくりにDXで革新をもたらす企業です。その独自のビジョンに共感し、多くの優秀な人材が集まっています。
今回は、2024年8月にトグルに入社し、執行役員兼新コーポレートユニット長を務める田添聡士さんのインタビューを2部作でご紹介します!

Q1. 自己紹介

-経歴を教えてください-
田添:
生まれは埼玉県の桶川市なのですが物心つく頃には、静岡県の沼津市に引っ越しました。家族は父母と3つ下に弟がいます。男兄弟なのでベッタリという感じではないですが家族は非常に仲良いと思います。兄弟の性格は真逆で兄の私は大胆・大雑把で70点までは早いけどその先はあんまり頑張らないタイプ、弟は堅実かつ真面目で最初目立たなくてもいつの間にか100点になってるタイプ。

実家の居間にて。

よく父が酒を飲むと話すエピソードで「お年玉をもって二人でゲームソフト屋さんにいったら、サトシはお年玉ギリギリまでゲームを買ってくるが弟は一本も買ってこない。”何もいらなかったのか?”と聞くと”うん、サトシがだいたい買ったからサトシが飽きたころにやる”。」と言っていたらしく、そんな、どちらが兄かわからない兄弟でした。

そんな頼りない兄も、小学校4年の終わりくらいからいった塾が楽しく中学受験にチャレンジし神奈川のカトリックの中高一貫校に入りました。新幹線通学で片道2時間弱、6年間通いました。とはいえ、最初の3年間は成績も鳴かず飛ばずでしたが高校1年生の時に物理と高校の数学の楽しさに開眼し何とか東工大に滑り込むことに成功します。

東京工業大学ではコンピュータサイエンスを専攻しました。いわゆるAIと初めて出会ったのもその頃です。

当時、AIは今ほど注目されていませんでしたが、NVIDIAの社長が東工大に来て今のAIの発展の基礎となる技術に関するデモを行ったのを見て衝撃を受け、大学時代はエンジニアを目指してプログラミングに励みました。

ただ、東工大には後にGoogleの本社に行くような天才プログラマーやスパコンの富岳のプロジェクトリーダーになるような人材がいて、彼らと競っても勝てないと感じることもあり、方向転換をする中でいろいろな縁があってコンサルティングファームのボストンコンサルティンググループ(以下、BCG)に入社しました。

BCGには2年しかいませんでしたが、私のキャリアに大きな影響を与えました。

特に社会人2年目の2011年は、自分にとって大きな一年でした。足元の成長に苦しむ企業の構造改革に取り組むプロジェクトと、とてもキャッシュリッチな会社の20年先の未来を描く超長期戦略のプロジェクトと、かなり両極端なプロジェクトに関わりました。組織や事業が成長しないということはどういうことなのか?また、本当に強い事業を持っているとどれだけ余裕をもって日々をすごせるのか?といったことを否が応でも考えさせられました。

その頃から「成長戦略」や「競争優位性」といったテーマに興味をもちはじめ、今でも自分の中でずっと考えています。

もう少し自分事として企業の成長に関わりたいと思ったときにスタートアップに行くという選択肢を考え始めました。当時はあまりスタートアップに戦略コンサルティングファームから行くというのはメジャーな選択肢ではなかったですが単純に面白そうだと思ったからです。20社くらい受けて「行きたい!」って思える会社は2社でした。実際に行く「じげん」とSPEEDAを運営していた「UZABASE」です。今思うと社会人2年生としては見る目があったなと思っています(笑)。最後、じげんに決めたのは自分が活躍できる姿が想像できなかったからです。

じげんは上場前で、当時は複数のウェブメディアを運営していました。求人や不動産、自動車に関連するサービスを提供していました。経営企画部に所属し、新規事業やIPOの担当をし、IPO後は大手企業とのアライアンスを担当しました。IPO業務は何とかやり遂げた感覚はありますが、新規事業はトラウマになるレベルで失敗しました。今思うと、ろくにマネジメントもしたことない社会人3年目、Webサービスもド素人だったので当たり前の帰結ではあるのですが、チーム・プロダクトともに何一つうまく導いたり支えたりすることができずあえなく崩壊しました。そこからチームマネジメントからは逃げに逃げ、自分の個人の価値をどう上げるかにフォーカスしてキャリアを積んできた気がします。

その後は、シンガポールで知人の会社を手伝ったあとに、東京大学のAIで有名な研究室で産学連携やインキュベーションを担当したり、その後は6年くらいVC業務を行っていたりしました。ベンチャーキャピタリストは成果がどうなるかはわかりませんが働き方や仕事内容はとても自分にマッチしていました。なぜかというと、基本はパートナーにならない限りは人のマネジメントは発生せず個人プレイだからです(笑)。自分個人のスキルやできることはどんどん広がっていきましたが、根本では新規事業立ち上げの時の失敗・挫折を引っ張り続けた10年だったと思います。

Q2. トグルとの出会い

-その後、どのようにしてトグルホールディングスに入社することになったのでしょうか?-
田添:VC時代、私の担当していた不動産テックの会社に、たまたまトグルも出資していたんです。そこの株主報告会にトグル代表の伊藤さんが出席された機会があったんですね。

不動産系の会社だったので、当然伊藤さんはその分野で非常に専門的な知識をお持ちでした。他の株主が売上やコストについての表層的な質問をする中で、伊藤さんはめちゃくちゃ具体的で生々しいインプットをされていて、面白い人がいるなって思ったのが今思えば伊藤さんとの出会いです。

トグルには、もともと私が面識のあった株主が何名かおり、その方々からトグルのことを聞くにつれ、非常に興味深い取り組みをしてると感じました。その株主の一人を通じて、伊藤さんとオンラインミーティングで初めてサシで話しました。

初回の面談では、お互いキャリアのことや求めてるポジションについて話し合い、少し難しいかなという結論になりました。ただ、話す中で改めて面白い会社だと感じていたので、もう一度お願いしてお会いすることになりました。オフラインの場でランチをしながら、事業のことをディスカッションする中で、「相性が良さそうだね」とお互い思えたのが今私がここにいる理由かなと思います。

自分がトグルの何に惹かれたかというと、トグルが明らかにツールの提供者ではなく「DOer(実行者)」であり、それが不動産領域という思いっきりレガシーが残る業界の課題に真正面から取り組んでいたからです。

これを言うともうVCの世界には戻れない気がしますが、起業家とお話ししながら時々「本当にこれで工期がめちゃくちゃ短くなるなら工場つくって短納期・高単価の受注を受ければよいのに」とか「可視化ツール作るくらいなら、本当に温室効果ガス減らして地球に貢献すればよいのに」と思ってしまう事が増え、自分はDOerな会社が本能では好きなんだと思うに至りました。

あとは、トグルのnoteの記事や山﨑さん髙﨑さんとの面談を経て、今まで触れたことのないチームで何かを達成したいという「熱」のようなものを感じ、自分もマネジメントやチームプレイから逃げるのではなく飛び込んで見たいと思えたのも入社の決め手になりました。

インタビュー中の田添

後編に続く!

後編は以下の内容を深堀していきます!
Q3.現在の業務内容
Q4.今後の展望
Q5.今のトグルに足りないものは何で、その上でどんな人にトグルに来てほしいですか?
Q6.トグルの魅力を一言で教えてください
お楽しみに!

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