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東京大学2004年国語第4問 『写真論集成』多木浩二

 含蓄に富むが、読みやすさの面では、意味が十分に説明されない比喩が現れるなど読者の読解力を試すものでもあり、まさに芸術家的文章。じっくりと読み進めていく必要がある。

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(一)「このような事情」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。
 「このような事情」とは、直前の文の「こうした問いと二種の答えの繰り返し、どちらか一方ではありえない」ことである。この中の「問い」とは、「写真に何が可能か」という問いを自らに発すること、「二種の答え」とは、「写真には何もできない」と「写真に可能ななにものかがある」の両様の答えである。
 さらに、写真の可能性とは「世界に対して」のものであると書かれている。
 しかし、これらをストレートに答えたのでは、傍線部アを説明したことにならない。なぜならば、傍線部アは「なにも写真に限ったことでない」のであり、「芸術表現のすべてについていいうること」だからである。
 そこで、上記のことを写真に特化せず芸術表現に一般化すると次のような解答例ができる。「芸術表現が世界に対して持つ可能性を芸術家自身が自問し、それに対する反応として無力感と楽観論という相反する認識の間で揺れ動くこと。」(64字)

(二)「写真にかぶせられた擬制」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。
 まず、傍線部イの「擬制」は、その直前の「既成の価値」や直後の「虚構」と置きかえ可能であることがわかる。となると、「人がこれまで写真に関して価値があると考えてきた一般的なイメージだが、実際には真実ではないもの」という意味だということである。
 しかも、「リアリズムもこのうちに入る」とあり、第8段落には「自分の内部に思想があってそれを写真に表現するという俗流」とも書かれているので、「写真が思想や世界の実際を写しだすことができるとする考え方」が虚構とされていることがわかる。
 以上をまとめると、「これまで一般的に、写真は思想や世界をそのまま写し出す芸術であり、そこに価値があると考えられてきたが、実際はそうではないということ。」(65字)という解答例ができる。

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