お金と時間と経験値
前回まで、二拠点生活について綴っていましたが、ここで少しティーブレイク。
というよりも前回からだいぶ時間が経ってしまっているので、田舎と都会の考え方の違いを感じた点、少しここで書こうと思ったので記事再開です!
この不定期さを見てもらっても、僕の飽きっぽさがわかると思いますw
では早速本題へ。。。
面倒を超えた先
最近非常に強く感じる事があったので、紹介させてもらおうと思います。
表題にもあるように、お金と時間、そして経験値について。
今、僕は集落に小屋を借りているので、毎週のように土曜日か日曜日に行っては、内装や外装のリノベーションを素人DIYでいじくっています。
長老の山には色々な経験豊かな方々が出入りしているので、工具の使い方や材料の見極め方等を教えてもらいながら楽しく過ごしているんですが…
以前、少しだけ面倒くささが心をむしばんできた事がありました。
「ドアなんて買ってくりゃすぐ出来上がるじゃん…」
「テーブルはホームセンターに良いのあったな…」
そんな事をぼんやりと思いながら、作業していた時です、いつも色々と教えてくれている、経験豊かな「教授」こと磯村さんが僕にボソッと言った言葉。
「お前さんが今やっている作業は無駄にはならない。経験することによってお前さんの中に蓄積するかんね。」
非常にハッとさせられる言葉でした。
今まで、色々な所で【お金=時間】と教えられてきた僕は、ことわざに「時は金なり」とあるように、時間をお金で買うという概念は当たり前だと思ってきたし、時間=お金でしかないと思い込んでいたから。
勘違い
よくよく考えてみると、田舎に行っていつも感じていたのんびり感というのは、決して日常の人々の行動がゆっくりとしているから感じられるものでは無く、時間をかけてみんながそれぞれに経験を積んでいる時間なんだと、その時実感したんです。
ただ、自然の中に人々が点々と存在して、マイペースに作業しているし決してあくせく働かなければいけないという事じゃないから、そんな雰囲気になってるだけであって…
田舎の暮らしは、自分で調達できる物は自分で。という考えが今でも主流だと、見ていて思います。(僕の主観ですけど)
つまり、食べ物は育てれば成るし、椅子も作ればできる、後々書きますが子供の遊び道具だって山に生えている物で作れます。
ほとんどはお金という代替品を介さずに、自分の欲しいものを手に入れることができる。(家だって作れちゃう!)
欲しい物が手に入るまでに必要な時間が田舎に流れているのんびりとした時間、都会では省かれている【経験を積む時間】という概念なんだと、僕は感じたんですね。
だから、お金で時間を買っていると思っていても、時間を費やして得られるはずの経験値をゴッソリと捨てているんじゃないかと、それが磯村さんの言葉で気が付いたことだったんです。
お金で時間を買って経験を捨てる
僕たちは何でも欲しい物をお金を払って手に入れます。
お湯、お米、遊び道具、椅子等々、例を挙げればきりが有りません。
僕たちは普段使っている物の仕組みや作り方をどれだけ知っているでしょうか…
全てはそれを作る事に対して時間をかけない分、作る方法も仕組みを学ぶ機会も放棄してしまっているんじゃないかと。
僕が田舎でボケーっとしている時間、田舎の人たちはもくもくと作業して、自分の欲しい物、必要な物事を作ったりしていたんです。
この事に気が付いた時、僕は自分を恥じました。
何か田舎の人たちに対して失礼な勘違いをしていたなと。。。
今はその手間や時間を認識しながら行動しています。そうすると、忘れていた子供のころの感覚、「無」から「有」を作り出す喜びを感じる事ができるんです。
磯村さんの言葉以来、常に「経験」を得ながら週末を送ることができています。
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