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ジョグジャの友だちにポストカードを送った話

手紙を書いた。

正確にはポストカードを送った。

インドネシアの友達に。

ジョグジャ、正確にはジョグジャカルタは日本で言うところの京都のようなもので、仏教遺跡のボロブドゥールやヒンドゥー教の遺跡のプランバナンがある街だ。

そこを初めて訪れたのは7年前、ぼくがまだ大学生でいまより体重が20kgほど軽かった頃だ。そのころは、まだそれほど発展しているというイメージはなかった。貧乏旅行者だったからかもしれない。

去年の夏、再訪したときはモールがいくつかできていて、悪くないイタリアンのレストランもいくつかあって立派な街になっていた。

そこが我が友ウニフの街だ。

ぼくたちは日本で3~4年ほど前に出会った。当時、とりあえず英語を使いたかったぼくは困ってそうな外国人に話しかけて友達を作る作戦をやっていた。その中の1人だった。

ウニフは敬虔なイスラム教徒で、毎日お祈りを捧げてヒジャブを被っていたけれど、10代の初めの頃に(おそらく反抗期で)お祈りもヒジャブもぷっつりやめてしまったファンキーなタイプ。両親も親戚もイスラム教なわけだけど、信仰に関しては諦められているのかもう何も言われないらしい。

経済が発展して生活に余裕がでてくると信仰心は薄れていくのかもしれない。

ジョグジャは歴史の街で、インドネシアの定番観光地だから欧米人がめちゃくちゃ多い。そういうのに影響された部分もあるんだろうと思う。

ウニフは猫が好きで、子猫を拾っては家で飼っていたけれど、敬虔なイスラム教徒のおじさんに毎回捨てられると言っていた。

「イスラム教でダメなのは犬じゃなかったっけ?」と思っていたのだけど、そもそものNGの理由が狂犬病の可能性ということなら猫もNGは理に適っているのかもしれない。

とにかく、ウニフはエネルギーに満ちていて、ほぼ毎夜酒を飲みに出て朝日が昇るころに自宅に戻って寝て、仕事に行くという乱れきった生活をジョグジャでしている。タバコだって喫う。

そんなウニフと昨夏、日本人の友達といっしょに別のインドネシア人の友人を訪ねた後、いっしょに1週間ほど旅をした。ブロモ山やイジェン山を登り、サファリに行き、バリの離島でキャンプをした。サファリと離島は笑ってしまうほどひどいものだった。

サファリはオフシーズンで動物は日本でもよく見る鹿くらいしかいないし、離島のキャンプはほぼ遭難だった。

いっしょに旅をしていて思ったのだけど、ウニフはミーハーな都会の普通の女の子だった。ぼくもいっしょに旅をしていた友達も、なんて言ったってインドネシアは途上国なんだからウニフにはいくらかはぼくらにはないたくましさがあるんだろうと思っていた。

けれど、キャンプは好きだけど虫は触れないし、体力はないし、泳げないし(泳げると本人は言い張っていたけれど)、ぼくたちが旅したインドネシアの田舎のインフラやボロさを小ばかにして、きれいなビーチを夢に見て…。ほんとに日本のどこにでもいる普通の女の子と変わらなかった。欧米人のような子だった。

ぼくらの方がワイルドさに溢れていて、野蛮だと笑われたりした。

これは完全にぼくたちの偏見なんだけれど、もうそういう時代なんだって思った。グローバル化って、フラットな世界になるって、経済がキャッチアップするってそういうことなんだって思った。そんなに急速に変わるんだと思った。(見る人が見れば、ぼくも変わったのかもしれない…)

そんなウニフにポストカードを送った。

ぼくが送りたかったからではない。ウニフが求めたからだ。

インドネシアをいっしょに旅したとき、おおざっぱな希望を伝えたあとの具体的な旅のアレンジは全部ウニフに任せっきりだった。

つまり、ウニフには大きな借りがある。

それくらいは叶えてやろうと思った。

おそらく彼女が生涯で受け取る最初で最後のセントビンセントからのポストカードになるだろうから。

良い思い出になると思うから。

きっと彼女は友達に自慢できるだろうから。

いつかまたいっしょに旅をすると思うから。

トラブルがあっても、むしろそれを楽しめて、機嫌が悪くならず、沈黙も気にしない友達というのは貴重過ぎるから。

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