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セントビンセントより愛をこめて

結婚式の招待状が届いた。

友達の少ないぼくにとって29年の人生で初めてのことだ。

それは遠くインドネシアから。

神戸で知り合ってからもう4年くらいの付き合いになる。

去年の夏、インドネシアで会ったとき、たぶん来年結婚すると思うという話をしていた通りになった。

協力隊の2次試験の結果待ちでその1週間後くらいに合格通知が届くらいの時期だった。ぼくとしては、ほぼ100%受かっているだろうという謎の確信があったけれど、確定ではなかったからはっきりしたことは言えない時期。

そういうこともあって「そうかぁ、めでたいね。ぼくインドネシアスタイルの結婚式行くの初めてだわ」ってまだ誘われてもないのに行く前提で話していた。

お医者さんとして忙しく働いている彼は週6日働き、ぼくと再会した日の前日土曜日も夜8時過ぎまで働いていた。

そんな彼をぼくは日曜日の朝5時にたたき起こし、3時間運転させ、ぼくの滞在する町まで来させ、一日車で町を案内させて、食事代も全部だしてもらって、明日の仕事に備えて夕方また3時間かけて帰らせるという、文字に書き起こすととんでもなくひどいことをした。

4年前、彼がまだ医学生だったとき、「せっかく日本に来たんだから研修だろうがなんだろうが観光して文化を知らないとダメだぞ」と神戸はもちろん京都や居酒屋、洒落た和食屋など色んなところに連れ出した。半分はぼくの暇つぶしだったけれど、彼には一切金をださせなかった。

こういうのアニメでしか見たことなかったから本当にうれしい」と言われたときは素直にとてもうれしかった。

頼むから何かお礼をさせてくれと言ったのを、待ってましたとばかりに「ぼくがインドネシアに旅行にいったときに手厚くもてなしてくれればよいから」とこれまたすごい約束を取り付けた。

わずか1~2か月ほどの交流だったと思うけれど、ホームパーティーをやったりほんとにいろんなことをいっしょにやったし楽しんだ。お酒を飲んだことがないというから、無理矢理というていで飲ませた。一口飲んでハイになってしまって京都から電車で連れ帰るのに苦労したこともあった。

近年稀に見る好青年といった感じで、とても真面目。敬虔なクリスチャン。ぼくがインドネシア人だったり、彼が日本人だったら決して交わらないだろうくらい正反対の性格をしていると言っても過言ではない。

歳が近いということもあってか、ぼくたちはいろんな話をした。文化の違いや価値観の話、お互いの恋の話、将来の話…。

当時、いまよりもっと英語を話すことに苦労していたはずだけれど、口から発せられる言葉以上にいろんなことを読み取って、お互いの価値観を尊重して、深く理解していたように思う。

彼の帰国後もぼくたちの関係は途切れることはなく、わざわざバティック(ジャワ更紗)というインドネシアの布を送ってくれたり、新年の挨拶を交わしたり、ときどきチャットしたりした。

去年の夏にようやくインドネシアを旅行するまで3年もかかってしまっていたけれど、彼は地元の病院で働くことになって英語を話す機会がなくなったからか英語がヘタクソになって言葉が出てきにくくなっていたけれど、ぼくらの関係はかわりなく、バカなことを言い合ったりしつつ、まじめな話もした。

この3年の間、ぼくが東京に引っ越したりひどい失恋をしたりキャリアに悩み低迷している間、彼も長く付き合っていた良家のお嬢さんにフラれ(その彼女は1年以内にノルウェー人と結婚した)たりと悲しいこともあったけれど、立派に医者になり、同じ大学の女の子と結ばれた。その相手の女の子はジャカルタ出身だったから、大学卒業後は彼は週末の短い時間を使って飛行機に乗ってジャカルタに会いに行って愛を育むというマメなことをしていた。ぼくはまだ写真でしか見たことなくて会ったことはないんだけれど、彼が惚れて、飛行機でほぼ毎週会いに行くくらいなんだから余程素敵な人なんだろうと思う。

エドウィン、良かったな、おめでとう。

一斉送信だからか、ぼくのところにきた案内状も全部インドネシア語でぼくは日時さえさっぱりだけれど、ちゃんと覚えてくれていてありがとう。

どうやら7月6日らしいことはわかったけれど、ぼくは今ざんねんながらインドネシアの地球の裏側にいて、まだ渡航制限も解けてないから行けないけれど自分のことのようにうれしい。本当に。

こんなに参加したかった結婚式もなかなかないだろうと思う。


*****

ぼくは最近よく思うのだけど、海外に長く住むというのは2つの時間軸で生きることなんじゃないだろうか。一つは自分が今住んでいるところ。そして、自分が生まれ育った国、あるいは特別な誰か/何かがある国。

ぼくの場合でいうと、ここカリブの辺境セントビンセントと生まれ育った国日本。

日本との時差は13時間。こっちが昼ならそっちは夜中。こっちが夜中ならそっちは昼。たまに通話するとき時間をうまく調整することに苦労する。

インドネシアと日本の時差は1時間だからほぼ同じなんだけれど、日本の友達とチャットをしてると彼らは今13時間先の時間にいて、こういうことをやっているんだろうなぁとよく考える。思いを馳せていると言っても良いかもしれない。それはセンチメンタルな気分になるという類のものではなく、単純に事実として。特別意識しているわけではないけれど、ふとしたときに思うのだから、心の奥の方で拠り所にしてる部分があるのだと思う。海外でマイノリティとして生活してるから、言いようのない寂しさを感じているのかもしれない。

例えば、この前の新元号の発表の時だって、ぼくは夜中11時からネットのライブ中継を見ていた。次の日はもちろん朝から仕事だ。ライブで見る必要はなかったけれど、今思うと一体感を感じたかったんだろうなぁと思う。同じ瞬間に同じ体験をしてなんらかの感情を抱きたかったというか。

なにが言いたいかというと、ぼくはそのエドウィンの結婚式の当日、ぼくらの共通の友達にスカイプかなにかをつなぎっぱなしにして式に参加したいなあと思っている。

朝9時から午後2時くらいまでのようだから、こっちの時間でいうところの夜9時から午前2時ごろまで起きておけばよいわけだ。

もちろん翌朝は仕事だし、タフな1日になるだろうけれど、2つの時間軸で生きてるけど身体は1つしかないんだから仕方ない。

最近疲れやすいように感じるのも、2つの時間軸を1つの身体で生きているからじゃないかと思ったりもしている。

深い旅をするとこういう時間軸がもっと増えていくのだとしたら、この2年のミッション終了後、セントビンセントもぼくの時間軸の1つに加わるのだとしたら、すごい大変なことだけれど、楽しみでもある。まあ、ぼくはめんどくさくなったら華麗にスルーしそうだけれど。

とにかく、ぼくにとってエドウィンはめんどくさくなく、長い付き合いをしたいと思ってる相手だということだ。

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