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直接的と間接的なアプローチとリーダーシップ

オリンピック協会の秘書のニーシャとぼくはリーダーシップの取り方が根本的に違う。

以前も少し触れたけれど、ニーシャはかなり優秀な部類の人だ。気性が激しいけれど、基本的には良い人。生徒会長タイプ。ぼくはちょっと苦手だけれど嫌いではない。

ニーシャはセントビンセントの電力会社の元取締役だとかで色々プロジェクトをマネジメントする経験もあるんだと思う。現に今もオリンピック協会でこの国の人にしては珍しく猛烈に働いている。

そんな彼女の物事の進め方、リーダーシップの取り方は自分で引っ張っていくタイプ。ときに強引に映ることもある。

彼女なりのゴールというか型が見えていて、それに寸分の狂い無く当てはめていくタイプだ。ある人が言うには完璧主義で、少しでも彼女にとって気にくわないことがあれば、叫び散らす。強引に彼女の思うところに物事を落とし込んでいく。すごいと思う。

途上国によくある「このくらいで良いだろう」という中途半端なことを許さないので、途上国でも先進国並みの仕事のクオリティを保つ上でその強引さや、人目をはばからず叱責するさまも必要なのかもしれない。(人前で盛大に叱責って、侮辱に取られてフィリピンとかだと帰り道で射殺されることになるから絶対やっちゃだめなんだけど、セントビンセントでは違うらしい。)

直接的に介入して現場を支配するタイプのマネジメントで、リーダーシップだ。

おそらく、ぼくもそういうタイプの仕事を少なくともニーシャからは求められている。

ところが、ぼくは全然タイプが違う。

自分に自信がないわけではないけれど、絶対的に正しいという無謬性を持ち合わせていないから、すぐ「そういう考え方もあるか」と思ってしまう。人の前に立ってどうこうとかのヒーロー戦隊もののレッドには向いていない。

前提として人見知りだし、そもそもそのタイプのリーダーシップの経験がない。

ぼくは前職では、兼任で知財部門を担当していたけれど、その時だって部下も後輩もいなかった。営業部門でもペーペーだったから、社内では、いかに自分が働きやすい環境を構築するか、自分のやりたいことを上に通すかということを考えていた。敵を作らず、決して目立たずって社内政治をやっていた。わりに上手くいっていたと思う。

何が言いたいかというと、ぼくは間接的にリーダーシップを取るタイプなのだ。

だれかをサポートしたり、物事を好ましい方へさりげなく持って行くタイプ。ぼくが思う好ましい方へエサを撒いて食いつくのを待つ。読みと忍耐力がいる。

青年海外協力隊とかこういう援助や支援っていうのは一時的なものだから自分が帰国しても取り組みを継続してもらわないと意味がないわけで、現地の人材も育成しないといけないと思っている。だから、人見知りのぼくでも貢献できると思って、こんな聞いたこともない国にわざわざ来たというのもある。

なので、ぼくはどちらかというと、ファシリテーターのような仕事の進め方をここまでしてきた。ぼく自身から視覚障害者の方に「〇〇をやろう!」と具体的に言うのではなく、「今度のイベントはぼくたちは何をするの?」というふうに彼らからでる言葉や思いをひろって、PR活動に落とし込もうと思っていた。

だって自分で積極的にリーダーシップとって直接何かするって、ともすれば日本のやり方とか自分のやり方の押しつけなわけで、それってどうなの?効果あるのって話になってくるから。ぼくは自分の仕事を彼ら視覚障害者のサポートだと定義しているフシがある。

きれいごとをつらつら述べたけれど、全然うまくいってなくて、ここまで対外的な活動の成果はほぼゼロなわけだけで、それがニーシャには不満なんだと思う。(ほぼゼロの予算の中でうまく成果を出すために、まずこの国の文化ややり方をまず学ぶ必要があったのだけど)

たしかに、いまのやり方では猛烈に時間がかかる予感がバンバンしてるけれど、それはぼくがリーダーシップの取り方を変えたところで変わらないと思う。

だって、ゴールもあやふやだし、それに至るリーダーシップ取って実行すべき具体的な施策がまだ見えていないんだもの。

積極的に介入して、直接的なリーダーシップを取らないといけないタイミングも近々くるだろうし、使い分けもできるようにならないといけないと思う。

ニーシャにも、視覚障害者協会の方にもぼくの意図をきちんと説明しないといけないんだけど、PRとか繊細なニュアンスの語彙力がぼくにはまだない。

これらはぼくの2年間の課題だ。



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