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【創作】私をつかまえるのは、きっとこれから <第2話>

第1話はこちらより

 学校から帰宅したユミは自分の部屋に直行すると、倒れ込むようにベッドに横になった。そして、毎晩ともに眠る小さなうさぎのぬいぐるみをギュッと抱きしめる。それは当時6歳になったユミに両親から贈られた誕生日プレゼントだ。デパートのおもちゃ売り場でひと目見た瞬間から心奪われたことを思い出す。「本当にこれでいいのね?」何度もたずねる母に苛立ちながら、ユミは何度もうなずき返した。本当にこれが欲しくてたまらないのだと。月日が経ってもなお、ぬいぐるみへの愛着は薄れることはなく、あのときの「本当」は心からの「本当」だと確信する。なのに、今のユミはどうだろう。確信めいて、これが欲しいなどと思えるものがひとつもない。足りていないわけじゃないけれど、満たされてもいない。あれが欲しいとか欲しくないとか、楽しいとか楽しくないとか、裏か表かではなく、そのどちらでもあり、どちらでもない感情がゆらゆらと揺れ動く。本当の気持ち、本当の友達、本当の私。「本当」って何? ユミは思う。「今の私はばらばらだ」心も身体もばらばらなのだと。

 退屈な心と身体を引きずって、毎日をなんとか生きのびている。両親を安心させる程度に勉強や部活に打ち込んでみても、手に届く評価はいつも中の下。大して良くもないが、問題になるほど悪くもない。スルーされて誰の目にも止まらない。幸福でも不幸でもないうざったい重みがユミの肩にのしかかる。納得はしてくれなくとも理解を示してくれる両親、健康な身体、信頼できる友人。「当たり前のものなど、この世に一つもない」と熱っぽく語る大人たちをよそにユミは思う。子どもでいられるこの時間だけでも、身勝手に生きさせてよと。今、享受する豊かさを投げ捨ててでも、ここじゃないどこかで生きる別人の自分に出会いたいのだと。

 だから、ある日同じバスケ部のミサキから親しくされたとき、ユミは驚きながらも心がおどった。ミサキは学年でも目立つ存在で、いわゆるカースト上位の一軍女子だった。彼女に誘われるまま行動をともにするようになって、これまで目も合わせてくれなかったような女子や男子が親しげに話しかけてくるようになった。特に何が面白いわけでもないのに、周りの笑い声に流されるようにユミも笑顔を浮かべる。同じ空気を共有しているだけで、妙な心強さと、自信がみなぎった。彼らのグループに属しているだけで、わかりやすく印(しるし)がつくことの安堵感。自分が何者であるかなど考える必要もなく、属性によって簡易的に示される私という存在。立場が変われば、許されることが増える。「おまえなんかが……」の視線にもう怯えなくていい。まるでユミの存在を引き上げるかのように差し伸べられた彼らの手にしがみつく。そして気づいたときにはユミの片方の手をギュッと握り続けるリョウコの柔らかな手を、いとも簡単に振りほどいていたのだった。

 しかし彼女たちとの関係を続けて数ヶ月、ユミにはわかったことがある。ユミが手にしているのは、いうなれば新商品のお菓子のパッケージみたいなものだ。見た目の華やかさにワクワクして、カバンに入れているだけで特別な気分になれる。人前でおもむろにとりだせば、歓声があがり、話題の中心にもなれる。見栄え良くパッケージングされた友人関係。そこにはユミへの理解や共感などはない。曖昧に笑顔を浮かべてなんとなくそこにいるだけのユミの存在は色も味もない。無味無臭。いてもいなくても同じ。だけど、不思議なことに一軍グループの外にいる誰もがユミに対して特別な視線を送るようになった。まるで全てのカードがひっくり返ったみたいに世界がいとも簡単に変わる。これまでのユミは教師にも、先輩にも、同級生にも悪気なく無視される、何の特徴のない自分のことが大嫌いだった。悪い例にも良い例にもならないその他大勢に埋もれるだけの自分のことを。だけどユミは心の中で自問する。「私が本当に出会いたい自分とは一体どんな人間だったのだろう?」と。    

 何の存在感も放てない自分自身に後ろめたさを感じながらも、ユミは変わらず彼女たちと行動をともにした。気づいたときにはリョウコは学校を休みがちになり、姿を見かけなくなっていた。「リョウコちゃん、何かあったの?」母親が口にするひと言にユミはツンと心が痛んだ。原因がユミにあることは決して口にしない。いつかバレたって、関係のないことだ。「私だって自分のことで精一杯なのだ」、そう呪文をかけることで心に広がる罪悪感を薄める。「私だって助けてほしい。だけど……」今のユミは生きていけないほどの悩みも苦しみもない。子どもである権利を十分に与えられ、“普通“に親に愛されて“普通“の中学生として生きている。だけど、なぜだろう。生きていることが辛いと感じてしまうのは。

 自分のことを理解して欲しいと願う一方で、誰にも本当のことなど話したくもない。そんな反発する気持ちがぶつかり合う。強い承認欲求と相反する諦念。曖昧な笑顔と曖昧な言葉で日々を切り抜けていく中で、心も身体も麻痺していく。まるでぬるい毒におかされていくように。

次回はリョウコのストーリー


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