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映画『君たちはどう生きるか』

 映画館を出ると世界が違って見えるのは映画の醍醐味の一つ。
 何でも無い壁の染みや差し込む陽の光までもが愛おしく感じる。忙しなく行き交う人々の険しい表情も穏やかに受け止められる。

 それは言わば遺言だった。 
 もうこの世界に触れられないのだと思うと、込み上げてくるものがある。残念ながら私はこの年になってもそれを受け継ぐ準備は出来ていなかった。だからこそ、伝えておかなければならないという思いに彼をさせたのだろう。

 空想はしばしば現実からの逃避として使われる。勿論、良い意味でだ。空想を通して見ることで世界は真っ直ぐに見えるようになる。それは現実世界がねじ曲がって歪んでいることの裏返しなのだが、ねじ曲がっている世界こそが私たちの生きるべき現実なのだ。
 毒や膿に満ちた世界を浄化するには、それらを切り離して捨て去ることでではなく、受け止めて受け入れる必要がある。それには覚悟と勇気と強い意志が必要だ。
 そして、覚悟と勇気と強い意志のためには、想像力が欠かせない。空想こそがイノベーションとなり世界を救う。
 しかし空想の中に逃げ込んでいるだけでは駄目だ。空想と現実を行き来しながら世界を俯瞰する事が肝要なのだ。
 時間的にも空間的にも奇妙に歪んで見える空想や夢の世界は、現実の世界の中でこそ光を放つ事が出来る。
 現実世界の見た目通りこそが真実だと思いこんだとしたら、人はいがみ合うだけの醜い生き物と変わらないものになる。

 空の青とも違うエンドロールの蒼に、彼の慈愛を感じたのは錯覚ではなかったはずだ。
 彼は、全ては空想ジジイによる詐欺みたいなものだよと笑うのかも知れないが。

おわり

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