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井上智公
2020年9月1日 02:32
《この頸と脚首を二匹の青鬼赤鬼に預けることができたら! そしてタオルか洗濯物をしぼるように、このぼきっぼきっと鈍い音をたて続ける肉体を、力まかせにしぼって欲しい! もしそのような鬼があらわれたならば、その青鬼赤鬼の褌を一生洗い続けてもよいと男は風呂の中で空想したほどだ》(後藤明生『隣人』)
2020年3月17日 01:46
《「反日常」的な「異常」を、一見「平凡」な「日常」の形に「異化」する方法は、日常そのものを、そういったグロテスクなファンタジーの構造に組立てる方法だったと思う。ファンタジー(幻想的な世界)は、別にわれわれの生きている「日常」の外側に、別な世界としてある必要はない。「日常」の世界の事物(人間)と事物(人間)との関係、組合わせ、配列というものを一つの構造としてとらえ直してみれば、「日常」そのものがすな
2020年3月17日 01:37
《『変身』は、悪夢小説といわれているとしても、決して夢を書いたものではない。しかしそこには、夢の方法が用いられている。つまり『変身』は、夢を書いたのではなく、夢の方法によって書かれているわけだ。夢の論理によって書かれた現実なのである》(後藤明生『笑いの方法――あるいはニコライ・ゴーゴリ』)
2019年11月6日 23:44
《カフカの唐突さは読者だけでなくカフカ本人にも唐突だ》(保坂和志『読書実録』)
2019年11月6日 23:43
《夢は一つ一つの人や物や行為や会話が何を意味するか以前に、全体を染める空気が不穏や不安だったりしみじみ幸福だったりする》(保坂和志『読書実録』)
2019年11月6日 23:42
《カフカの無計画性やそれゆえの筋の記憶できなさ、最も取るに足りないと見えるものこそここでは重要なのだというようなカフカ独自の論法》(保坂和志『読書実録』)
2019年4月8日 13:25
《まだ自分自身、何者でもないといっていいあなたが、同じように何者でもない人を嘲る理由なんてありはしないわ。自分も運命と闘っている、他の人もその人なりのやり方で闘っている、それでいいじゃない》(ローベルト・ヴァルザー『タンナー兄弟姉妹』)