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ボクシング39週目

イライラが止まりません!

昨日は、ストレスの原因となっている職員に仕事のことで呼び出され、「説教」を受けました。それに対して自分は「言いたいことはわかるし、貴方が正しいことを言っているとも思っている。だが申し訳ないけど、自分はそれに反応することができていない。」と伝えました。伝えたつもりだけど、おそらくその点は伝わっていないと思っています。そのことにイライラしていました。向こうも「わかってくれないなぁ…」と思っていることでしょう。

人はそれぞれ「自分自身の物語」を生きていて、その物語のなかに、その人の役割のようなものを当てためてしまおうとしてしまうのだと思います。自分は、彼氏の求める物語から外れている(ある意味、「使えない職員になった」という役割を物語のなかで与えられている)のかもしれない。でも、それはそれでしょうがないのかなぁ、と思います。あくまでも、自分は「自分自身の物語」を生き切るしかないと思っています。

そんな「自分自身の物語」のなかで、ボクシングは大きな顔ををするようになりました。自分のなかに占める範囲がどんどん広がっているのです。そのことを通して自分の身体感覚が徐々に研ぎ澄まされています。自分のキモチとココロとカラダが、どのような感じ方をしているのか、自分自身で察することができるようになっていると感じます。

今日のメニュー

①準備運動のあとトランポリン5ラウンド、②動画レッスン+シャドーボックス、③サンドバッグ打ち(体幹)3ラウンド、④ミット打ち2ラウンド、⑤シャドーボックス2ラウンド(姿見で確認しながら)、⑥サンドバッグ右ストレート1ラウンド。

前回「右ストレートを打つときに振りかぶってしまう点と前のめりになってしまう点についてです。また自分自身の気付きとして、余計な力が入っているかもと思った点」を課題としていたところですが、ミット打ちの際にまだ上手くできていないような気がして、さらに姿見の前でフォームを確認したあと、サンドバッグを打つことにしました。すると、右ストレートを打つときに「打とう」という姿勢になっていることに、自分でも気付きました。鏡で見ているときやシャドーの時と違い、実際に対象を打とうとするとフォームが乱れてしまっているのです。そのため、もう一度、姿見で姿勢を確認してから、そのフォームのまま打てるように、サンドバッグとの距離を測りました。そして距離が合うと、サンドバッグに伝わる力がまったく違ってくることに気付きました。

ボクシングは「距離のスポーツ」と言われますが、自分は右ストレートについては適切な距離で打ち込めていなかったようです。適切な距離を取って、正しいフォームで打てれば、サンドバッグもかなりいい音で、応えてくれるのです。その感じを忘れないように、時間いっぱいまでサンドバッグを打ち込みました。自分は視力が悪いためか、左手のフック、左ボディなどの回転系のパンチについては、距離感を掴みやすく、正しいフォームで力をうまく伝えられるようです。しかし、右ストレートはまっすぐに腕を伸ばすため、腕の長さを割と正確に理解していないと、きちんとした距離を把握できず、よく詰まったような打ち方になってしまうのです。前の手のジャブでもそのようにしか打てないことがあります。

このことを今週の発見としながら、来週はお休みするので、正しいフォームを身につけるべく、シャドーボクシングに励もうと思います。

追伸

NHKでの「100分de名著」、来月は村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」だそうです。いま、そのことを発見し、鳥肌が立ったので追記しました。

いま自分はセルフカウンセリングとして「自分自身の物語」を深堀すべく、こちらの本を読んでいます。

この本は以前も紹介したとおり、心理療法の専門家である筆者が村上春樹氏の小説にある現象を手がかりに心理療法と物語について述べたものとなっています。この本をいま読みながら、セルフカウンセリングを進めているのですが、やはり原書である村上春樹氏の小説を読みたくなる気分にもなります。ただ、時間を要するし、その小説の解釈の深掘りを自分はやっていきたい、と思っていたところ、来月の放送のご案内を見ました。

自分自身の物語を取り戻そうとしている、いまの自分には「布置」されているのでは、と思ってしまいましたので、その感想をここに述べました。

いい放送となることを期待しています。




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