『HSPかるた』の『を』〜ソクラテスばりに哲学してた小1の私〜
いや〜、哲学してたなぁ〜( ´∀`)シミジミ..
学校がイヤとか遊びたいとか、そーゆーんじゃなかったんですよ。
“学校に行く意味”を考えたり、大人や先生のことを自分と同じ“いち人間”と思ってた感じでした。
“先生だからってエライとは思わない”って考えが何故かずっとありました。
“先生”とゆー職業に憧れたこともあったし、いまだに連絡を取り合う大好きな先生もいますが、残酷なくらい認めてない先生もいました。
でも先生や学校がどーでも良い“自分と関係ないモノ”と思ってたら、こんなに強く思ったり考えないと思うので、大切な、意味を見出すべきものだったんだろうなぁーとも思います。
大人も自分も同じ“いち人間”と思ってたなぁとゆーエピソードとして、小学校2年生の時に母親から
「離婚しようと思うけど、どー思う?」
と聞かれた時、
「そうした方がママが幸せなら離婚した方が良いよ」
と答えたんです。
親を心配させまい、とかじゃなく、普通にそう思ったんです。
(私は大丈夫なのでお構いなく、とゆーテイスト)
今より離婚している家庭が珍しい時代だったので、母子家庭の補助金を受ける時も母は
「れれこちゃんが恥ずかしいならやめるよ?」
と気遣ってくれましたが、
「恥ずかしくないし、貰えるものは貰わないと」
と答えました。
今聞いても何が恥ずかしいんだか?と思いますが、母の時代の人にとって離婚して父親がいない子供にしてしまったって罪悪感は大きかったのかも知れません。
でも、ホント大丈夫なんでお構いなく〜ଘ(੭´・∀・`)੭
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