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AzusaSuga
2018年5月6日 10:57
リフタを歩く。初めて来た時とは全く違う思いだった。青々と茂る豊かな自然、天然プールに流れる水、そこからつながる小川、鳥の鳴き声、子供達の声。一見すると穏やかな光景。そこで遊ぶ子供たちとその親。シャローム。天気がいいですね。わたしも泳ぎたいくらい。でも男の子しか泳いでいないけど、女子禁制?女子禁制というわけじゃないけど、そういう文化なのよ。見るだけで認識できる超正統派ユダヤ人ファミリ
2018年4月27日 08:31
襲撃を受け空っぽになったリフタの村。そこに入植者が住み始める。そして去る。再度空っぽになったリフタは再開発の話が度々浮上するも、今現在手付かずのままである。リフタに戻りたい人々の気持ちは、言わずもがなこれ以上わたしの家を壊さないでほしい。70年前約500の村々が消えた。70年経った今も西岸地区では入植が続き4kのクリアな映像でブルドーザーが家を壊す姿が流される。時空を超えて守ら
2018年4月26日 23:44
1948年アラブ人(パレスチナ人)たちが逃げ去って、リフタは空っぽになった。1950年代、リフタに住み着いたユダヤ人たちはイラク出身者であった。イラクのクルド地区からの移民だ。それは1953年のことだった。イスラエル政府はイラクから来た人々に家を与えた、それは棲家を与えたというだけではなく、元リフタ住民(パレスチナ人)が帰ってこられないようにするための政策でもあった。空っぽになったリフタに
2018年4月24日 09:45
1938年に生まれた彼女はリフタを今も故郷(帰るところ)だと思っている。急に車がやってきて、銃声が聞こえたの。そしたらたくさんの人たちが大急ぎで逃げていたわ。他の人たちも大声で叫びながら逃げ惑っていた。叔父はわたしに、ここにいなさいって言ったの、死体を見せたくなかったから。でもわたしは違ったわ、見たかった、知りたかった。多くの人が殺されたり怪我をしていたの。それはメッセージだとわかったわ、ここ
2018年4月19日 23:24
今となってはリフタはパレスチナ問題の象徴的な場所だ。パレスチナ人、(入植前の)ユダヤ人も特に揉めることなく人々は住み、そこにはコーヒーショップ、モスク、学校、そして刺繍のお店など普通の村に普通の暮らしがあった。1948年までは。わたしがリフタを歩いていると一人佇んでいる初老の男性がいた。彼はわたしの気配に気づき後ろを振り向く。サラームアレイコム。アレイコムサラーム。君はアラビア
2018年4月11日 10:19
わたしはピクニックができる自然の多い場所としてリフタを紹介され、いわばちょっといい公園というイメージを持ってリフタに向かった。紹介してくれた彼女もリフタにまつわる物語をきっと知らない。余談だが、40代のユダヤイスラエル人の友人が言っていた。自分の年代も含め若いイスラエル人はイスラエルが1948年に建国されて、そのことにまつわる歴史を知らない人が多すぎる。わたしの想像をはるかに超える犠牲の上
2018年4月10日 11:15
エルサレムと聞いて思い浮かぶのはきっと旧市街の嘆きの壁や黄金に輝く岩のドーム、そしてイエスキリストが磔刑にかけられた聖墳墓教会だったりするだろう。もちろん、この場所は祈り人みんなにとってまた祈らないわたしにとっても尊い美しい場所だ。この旧市街から歩いて30分ほどだろうか、エルサレムの長距離バスターミナルを過ぎ行くと右手に見える緑。段々に下がっているオリーブ畑(畑というより雑木林)や石造りの廃墟