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非日常とは一体何なのか④ー実は大きな影響力を持つ空間ー

ミュージアムには、非日常がある。
実体のない「非日常」の正体を明らかにするために、ミュージアムという空間に着目し、追求することによって非日常を捉えようとした。

ミュージアムとは、いったいどのような空間なのだろうか。私が体験したミュージアムでの非日常的な不思議な体験について考察すべくそのルーツや歴史を振り返っていきたい。

そこから見えてきたこととは、「モノを集めてきて分類して並べること」の本質である。
こういった「展示空間」はそれぞれの時代において、その社会的な背景を深く反映した目的を持って存在していたのだ。

・ミュージアムとは、私たちにとってどのような場所なのか
・昔のそれぞれの時代の人たちにとってどのような場所だったのか
・その空間はどのような意味を持ち、どのような影響力を与えていたのか

それぞれの場所、時代ごとに区切って、その時代背景とともに見ていこう。

非日常が明らかになるまでのロードマップ

権力者が宇宙や神秘の力とつながる空間

ミュージアムの歴史を辿ると、その起源は15,16 世紀ヨーロッパの王侯貴族のコレクション展示室である。その時代の支配層や知識層の間で大いに流行していた。展示 内容や方法は個々の収集家たちの財力、文化背景、関心ごとにより様々だったが、多様性 や並外れたものへの関心という点では共通していた。

コレクションの多様性は財力と知識の広さを示した。この空間の特徴は、部屋中がもので埋め尽くされ種々雑多なものを一堂に集め、順序や隙間なく敷き詰められた、「まさに百科全書的とでもいうべき趣」(𠮷荒 2014 : 19) だったという。香水や薬が蒸留される装置があり、音楽が演奏され、料理がふるまわれていた。しかしあらゆるものが何の順列もなくぐちゃぐちゃと置かれているわけではなかった。それらのあらゆるものは諸記号の象徴(大気、水、火、土)や鳥、草、水、石 などのペイントや、星座、太陽の運行や天空の方角などの要素により振分けられて並べられていたのだ。この時代の人々は、彼らが生きる世界のことを、こういった要素が作り出していると捉えており、それらを現した展示構造をしていたのだ。それぞれのものたちの類似性や意味を見出し、解釈を加えて複数のものを同じ分類として結びつけていた。

この空間はごくわずかの人しか見ることのできない排他的な私的空間であり、隠れた秘密の場所だった。所有者は、瞑想や、錬金術の実験、魔術、占星術などの場として利用していた。彼らはこのようなさまざまなものを集めて並べた空間に身を置き、この空間を通してあらゆるものの存在の意味や理由を追求しようとした。この空間を通して世界を捉え、世界の中での自分自身の位置づけを認識しようとしたのだ。(同上書 : 19-34)

全体の中に配置された世界観を反映 権力を固持するためのツール

17 世紀ごろになると、ヨーロッパ大陸は絶対王政の時代に入り、この展示空間の在り方は大きく変化する。それ以前と比べると、その空間に入ることのできる人の範囲は広がり、より開かれた空間になっていった。この時代の展示空間には、退屈なほど整然とした統一感と装飾性があるという特徴があった。

一つ一つの作品は壁掛けパネルの中にはめ込まれており、中央から左右対称に同じ大きさのもの、同じような形状のものが取り揃えられているが、描かれた題材でさえも左右対称に配置された。構成にとって必要であれば、本物ではなく模倣品が並べられ、パネルに合わせるためには、作品をトリミングしたり書き足したりすることに何のためらいもなかった。作品はそこにフィットするように形を変えられてから、壁面という平面的な場に整然と並べられる様子からはオリジナリティーに対する絶対視というものがないに等しいことが分かる。

このような展示形式からわかることは、この時代の人々は物事の外観を目で注意深く見て、
ものとものとの間に「同一性」「相違性」を見出し、単純な物から複雑なものに秩序付け、分類していたということだ。私たちは五感のさまざまな知覚を使ってものごとを捉えようとするが、この時代においては「視覚」が他の知覚よりもより重要視されていた。

個々に名前の付け方やものの説明の内容も外観の特徴を観察した結果が強く反映されていた。この時期の人々は、展示品を 1 点 1 点がそのもの自体として存在するよりも、作品の形や題材を展示全体に合わせ、全体のなかに当てはめる、はめ込むように捉えていた。

この展示空間は、外国からの君主や外交大使、聖職者など、高位の賓客を 招くレセプションホール(接待の間)として機能した。貴重な宝物や芸術作品のもつ、所有者の権力を誇示する力が政治的、外交的な場面 で利用されるようになったのだ。政治の中心にある王は絶対的で無制限の権力を維持しなくてはならず、広く社会に対して、また隣国に対して、その権力や豊かさを誇示する必要があっ た。(同上書:35-47)

民衆を統一し、新たな時代へ導くための施設

17 世紀半ばから 18 世紀になると、展示室の扉は社会に開かれ、王侯貴族や聖職者などの階級に属する人々だけに限定されず、誰でもアクセスができる場へと形を変えていく。この背景にはヨーロッパ社会に「啓蒙思想」が広がっていったことが挙げられる。それまでの神学的な歴史観を見直し、客観的事実に即して歴史を捉えようとするようになったのだ。王政が崩れて国家と国民という位置関係を作り上げ、安定させるために、展示空間は多くの民衆を統一し、新たな時代へ導く役割を果たしていた。

1つ1つの展示品は独立した一点として重視されるようになり、模倣作品を展示することに対して否定的な本物趣向となり、作品が生み出された社会的背景が重要視されるようになった。空間全体として歴史を軸にした展示構成となっており、作品が属する各流派や、地域別、時代別というように細やかなセクションで区切られていた。同じ作家の作品群は近くに配置され、同時代、同地域に生まれた作品は同じ展示室に集められ、部屋から部屋へのつながりは時間軸に沿うものとなった。その作品がどのようにして作り出されたのかや作風、そして他の作品との関係性などが客観的に把握されるようになった。(同上書:48-55)

現在の「ミュージアム」形式の空間はこのころに確立されていった。啓蒙思想の意味合いを強く持ったこのミュージアムは明治時代に日本に持ち込まれ、明治政府の官僚たちによって日本初の美術館「第一回内国勧業博覧会」(1887年 東京 上野)が催された。

西洋の概念が浸透する以前の日本はどうだったのかというと、明治初期の「もの」の分類、世界の区切り方は日本らしい江戸の暮らしの雰囲気や特徴をを大きく反映していた。1872 年に東京で行われた文部省博物局主催の博覧会では、物の記載の順番を見てみると、「大まかな分類があるだけの羅列的な百花繚乱的なものの集まり」(同上書 : 152)である。

それは往来物に関して、例えば記事の種類から様々な衣服の名、杖や傘のような身だしなみ道具という流れ、あるいは食卓に置かれるべき品々から、台所道具を経て、掃除道具というように日常生活の感覚で目が自然と移るように並べられていた。また列挙されたものの名称を声に出して読み上げると「耳輪・襟巻、領飾(ミミワ・エリマキ・クビカザリ)」というように七五調でまとめられている。当時の日本では西洋の、視点を優先させた客観的捉え方とは異なる、独特の美意識に基づく、ものや世界の捉え方があったと思われる。(同上書 : 152- 161)

学びを促し美の感性にはたらきかけ、道徳観を高めるようなエンターテイメント

現代のミュージアムは、それ以前の時代のものとは異なる性質を持つと考えている。もっと学びや道徳、娯楽といった要素が多く含まれているように感じるからだ。そこにあるのは人の感性を高め、心を磨き、道徳観を高めるなどの効果があり、これは「ほど良い非日常」がその場にあることがうかがえる。この「ほどよい非日常」についてはまた別の章で述べることにする。

展示空間の影響力

「展示空間」はそれぞれの時代において、その社会的な背景を深く反映した役割、意味、位置づけなどといった目的を持って存在していた。そしてその空間のモノの配置や空間のつくりには、その時代に生きていた人々がどのように世界を捉えていたのか、そしてその世界でどのように自分を位置づけて認識していたのかといった、脳内にある世界観が現れていたのである。

その空間に身を置いて、順を追ってそのような展示を見る・鑑賞するという体験は、その空間の製作者の世界観にふれることを意味するが、それは単なる体験の一つにとどまらない。実は、見る人の感情や記憶や自己認識にも影響を与え、思考、行動に影響してくるのだ。

なぜそのようなことが言えるのか。その理由・根拠は「デザイン」や「ストーリーテリング」といった概念を用いることで説明がつくようになる。この次の話で詳しく説明していこう。

参考文献
・𠮷荒夕記『美術館とナショナル・アイデンティティ』玉川大学出版部 2014

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