見出し画像

今年、私は自由になる術を見つけられた

今年の目標って、はて何だったっけ?

そう思って月別記事を見に行ったら、これだった。

とりあえず「勇気を持って新しいことにもチャレンジしよう!」とかそんな塩梅でいた様だけれど、世界を未だに混乱させているコロナ禍ということもあって、私の2020年は割と消極的だった、気がする。

売れないと、CDというのは店舗から下げられる。全部が全部じゃあないのだろうけれど。ということで某店舗から戻ってきたバンドのCDたちを前に、事務所のプロモの強いバンドには勝てないなあと腐っていた頃もあった。だからこそこなくそ!精神でどうにかしてやろうと思っていたけれど、コロナ禍でそもそもライブもできなくなった音楽業界はもう、未だに大変なこととなっている。

そういう中でサブスクリプションという媒体の強さを知ることもできたのは、不幸中の幸いと言えるだろう。あと配信ライブという新たな活路とかね。

サブスクのおかげでうちのバンドは、最近だとルーマニアとかポルトガルのリスナーさんに聴いてもらえたりしている。

とにかく、目の前のCDが売れずとも悲観することなかれ、なのだなあと実感できたのはありがたいことだった。

この言葉の意味をちょっと理解できた気がする。否、カップラーメンはいいラーメンだと思っているし、ある意味世界最高のラーメンだとも思うけれど。

ただ「売れていればそれが正解」という時代ではなくなったのかも知れない、と思うのだ。それはだいぶ私の心を軽くしてくれた。

国内にも、ありがたいことに自分たちの音楽を好きでいてくれるリスナーさんはいてくれている。その声が自分たちのところまで届いていて、且つ海外にもリスナーさんがいる事実。とりあえず今はそれだけで充分だ、そう思う。

がんがんライブするバンドにも憧れたけれど、今はどっちかと言うと「家でサブスクやYoutubeでまったり聴いてほしい」という気持ちが強い。お酒呑んだり猫をモフったりしながら、部屋着でノーメイクで、パン一でもいいや、そんな風に気負わず聴いてもらえたなら、すごく幸せなことだと思う。

…私が、ミスチルとかそんな塩梅でゆるく聴いているからね❤

ところで今年は、今までの人生の中で一番、父のことと向き合った一年になったと思う。

母のことはやっぱり嫌いだと思うし(もうそれを否定するのにも疲れた、というかそういう自分を受け入れることにした)、そういう母の存在のおかげで、自分の心の傷というのは母によってつけられたものだとばかり思ってきた。

けれど、私は「父にもっと甘えたかった」「父のことが大好きだった」という気持ちを、ずっとおざなりにしてきた気がする。

今年の夏、ポプラ社 こどもの本編集部さんの「こんな学校あったらいいな 」の投稿ピックアップに、私の書いた「音楽室の、知らない先生」を選んでいただいた。

それがすごく嬉しくって私は、そこから児童文学について考えるようになった。というか自分でも物語を書いて、ポプラ社さんの「ポプラズッコケ文学新人賞」にも応募した。

で、結局「こんな学校あったらいいな 」では受賞できなくって、正直それがものすごく悔しかった。落ち込んだし、とにかく気持ちがぐらついた。でもそんな最中で見掛けたどなたかのnoteで「作家になりたいなら四の五の言わずにとにかく応募するの!落ち込んでる暇なんかねぇっす!」みたいな記事を読み、( ゚д゚)ハッ!とさせられた。もう名も知れぬどなたか、本当にありがとうございます。

だから、noteの企画への参加を辞めずに済んだ。この一回が私の将来を決定づけるわけじゃあないんだし、と気持ちを切り替えられた。

そして年末、嬉しいお知らせをいただいた。

「読書の秋2020」の企画で、賞をいただくことができたのだ。

その内容こそが、父とのことを綴ったものだった。

というか先述の「こんな学校あったらいいな 」の投稿ピックアップに選ばれた物語でも私は、主人公の小3の少女に、こんな台詞を言わせている。

パパはある日、ママとひどいけんかをして、家を出て行った。それからもうずっと会っていない。私は、どうしてパパは私のことをおいていっちゃったんだろうと、悲しくてしかたなかった。

思えばこれは、私自身の気持ちを表したものだったのかも知れない。

父の死の少し前、母は私に鱈腹、父の悪口を吹き込んだ。お金のことでいざこざがあったんだと思う。そのおかげで私は、最期のほうの父に全然優しくしてあげられなかった。母が言ったことが正義、の家庭の中、私は母に洗脳されていた。そのことを長年、私は悔やんでいた。けれども「思い出しても仕方ないし、」と心の底にしまい込んで暮らしてきたのだ。

そういう気持ちについて、文章にすることで改めて向き合うことができたこの一年は、私にとって本当に大きな収穫となったし、父のことを書いて賞をいただいたという喜びもまた、天国の父への親孝行になった気がして本当に嬉しかった。

そして、今年は本当にたくさん寄付もさせていただいたし。改めまして、皆様からのご協力、まことにありがとうございました。

ライフワークだとも思えた学童を辞めて、その代わりというのもアレだけれど、noteでいただいたサポートを子ども支援事業に寄付しようと決め。そんなnoteという場で初めていただいた賞が、児童書で有名なポプラ社さんとの企画によるもので、その内容が父との思い出についてを書いたもの―なんかうまくできすぎてないかい、私の進む道(゚∀゚)

でもきっと、いい塩梅に進めている証拠なのだと思って、素直にその流れに乗っていきたいと思います。

ところで来年からの寄付先について、実は既に検討している団体があります。

イチゴイニシアチブさんのことは、寄付について書いた記事にスキをくださったことがきっかけで存じ上げました。児童養護施設での七五三のお祝い活動などをされているとのこと。

実は昔、この記事で書いた友人に、私のお古のリズリサのワンピースを譲ったことがある。

私たちは着なくなった服の譲り合いなんかを割と頻繁にする仲だったのだけれど、当時母子寮にいた彼女にそのワンピースを送った時、

「ありがとう!かわいい!これ、母子寮で娘のお食い初めやる時の記念写真撮るときに着るね!

…と、御礼のメールを貰ったことを、私はイチゴイニシアチブさんのご活動を知った時にふと、思い出したのだ。

こんな、普段着同様のワンピなのにと、正直なところ思った。でも当時の彼女にとっては、ハレの日に着るワンピースだと捉えてくれたのだろう。母子寮って、私が思ってるよりも不便なのかな―そんな風に少し、心配になった。それよりも「母子寮でもお食い初めとかやるんだ!」という驚きの方が大きかったかな、どんな場所か今でもよくわかっていないし(勉強しよう…)。

これは私の同情とか偽善的な部分がはたらいているところもあるとは重々承知だけれど、イチゴイニシアチブさんへ寄付(=noteを通じてサポート)を送ることで、ハレの日がより一層幸せな日になる人が増えることは、

来年は、日本財団以外の支援先も探していきたいと思っています。日本財団の取り組みは素晴らしいのですが、もうちょっとだけ、もっと身近な寄付の使われ方が見てみたい気もする。寄付についての私の記事より

と感じた私の思いにも、いい感じにぴったりピースが合う気がします。

ということで来年からは、イチゴイニシアチブさんも寄付先に追加される予定です。よろしくお願い致します。

…いろいろ書いてたら「ですます」口調もかなり入り混じっちゃったなー、まーいっか。

改めまして、今年も一年ありがとうございました。

今年はいろんな方から私の書くものを褒めていただいて、そのことですごく救われました。生きていてもいいんだな、って、大げさでなく思えたくらいに。

今までは割と、自分の内にあるものにある程度セーブをしながら書いてきたところがありましたが、今年の後半からは特に、けっこうだだ漏らしにしながら文章を書くようになったかな。

自分のこれまでの人生、正直、この日本に生きる大概の人の方がマシだと思える様なものだったと思う。本当、結婚するまで私はワープアどころじゃなかったし、家賃の取り立てにも追われたし、変質者にも襲われたし、もしも自殺してしまっても「まあ、そうしたくもなるよね…」と同情されるレベルだったと思う、割とマジで。

そういう自分を卑下して生きてばかりきたけど、ふと「これ文章にしちゃえばいんじゃね?」と気づいてからは、そういう気持ちをエッセイにしたり、フィクションをぶち込みながら物語にしたりすることで、負にしか思えなかった記憶すらも私の財産と思えるくらいになってきました。それだけ引き出しを増やしてこれた、ってことだから。

昔、たとえばまだ学生だった頃、いろんな人に「どうしてそんなにすぐ文章が書けるの?」と言われたことを思い出す。でも私にとってはそれが普通のことで、いきなり原稿用紙を渡されても、二十分あれば創作で三枚は埋めてしまえる小学生だったから、そう訊かれるのが不思議で仕方なかった。

でも、書くことが自分を自由にしてくれる術だと気づけたのは、間違いなく今年です。

私は私の中にあるものを文章にすることで、つらかったことも苦しかったこともすべて、ハッピーエンドにしてあげられる。

それに気づくきっかけをくださったのも、このnoteで私にスキを押してくださってきた、皆様のおかげです。

来年もどうか、お見守りください。そして素敵な企画があれば是非、お誘いお待ちしております。

皆様、良いお年をお迎えください❤ゆき

(勢いで書いたので誤字脱字があったらゆるしてねー!!)


この記事が参加している募集

noteでよかったこと

頂いたサポートはしばらくの間、 能登半島での震災支援に募金したいと思っております。 寄付のご報告は記事にしますので、ご確認いただけましたら幸いです。 そしてもしよろしければ、私の作っている音楽にも触れていただけると幸甚です。