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存在意義

「粛々と淡々と自分は自分のやれることの積み重ねを。隙間や狭間を人知れず補う役割を担う」そんなところに自分の存在意義があるんだろう。その道を進むことで生きる糧を得て、生きる場所を見つけることができ人生を続けていくことができた。今振り返ってみれば「都合のいいように使われがち」だったけれど。それでも何とか「人生を続けられた=生きることができた」のは、自分の存在意義を見出したからだと思う。消極的な捉え方はしたくはないけれど「逃げやすい位置に逃げ込んでいた」とも受け取れる。自分を守る生存本能の現れとして。「人生を続けられた=生きることができた=生きていること」を考えればどちらも正しい受け止め方だとは思う。けれど、「都合のいいように使われている」現実を考えると…どちらも不正解だったのかなと思う…なんだかミルクボーイの漫才のやりとりのようで答えがなかなか導き出せていないけれど。

それでも答えを導き出してみるならば、自分を守る生存本能の現れとして「粛々と淡々と自分は自分のやれることの積み重ねを。隙間や狭間を人知れず補う役割を担う」ところに自分の存在意義を見出して「都合のいいように使われがち」だったけれど、その状態を利用して「人生を続けられた=生きることができた=生きていること」ができた。それがこれまでの人生であり人生の結果なんだろう。けれど、「隙間や狭間を人知れず補う役割を担う」というのは「他に誰もやる人間がいない」「他に理解している人間がいない」から、「都合のいいように使われがち」になる。「やることができない」「理解していない」人間は、言葉や態度には出さずともなんとなくこうした状態のことはわかっている。(本当に分かっていない人いる。こういう人の場合は、開き直ってしまうことが多い)だから、「隙間や狭間を人知れず補う役割を担う」人間に対して、建前は持ちだすけれど「見て見ぬふり」をし続けるようになり、「都合が悪くなった時」には切り捨てるようなことをしがちなんだろう。「自分に自信がないからこそ相手に対してそんなことをしがちなんだ」と思えば、心身にかかる負担も減ってくるけれど、負担は負担でしかない。

「麒麟がくる」が楽しみなのは、多分、明智光秀に共感するものが多いからなんだろう。明らかになっていない面も多いけれど「義を見てなさざるは勇なきなり」な人ではなく、忠義を尽くす中で不満があってもその中で先を見据え「最適の解」を下してきた人だったのだろう。ドラマの影響を受けすぎだけれど。明智光秀は至極「真っ当な人」だったんだと思う。そんな人が報われないのは、いつの世も同じ。人がやることもいつの世も同じ。だから、「先の見えない不安な時期」にはできないことだけれど、そんな時期だからこそ歴史に学び今に生かすことが必要なんだろう。

過去に学んだからこそ「都合よく使われる状況」を利用し生きる糧を得ることができたけれど、「都合よく使われる状況」に疲れ果てた。それでも「不安な感情を押し付けてくるだけの人達」に触れる度に「粛々と淡々と自分は自分のやれることを積み重ねる」しかないのが辛い。「人は人、自分は自分。仕事は仕事、プライベートはプライベート。影響を受ける方がおかしい」という考え方はわからないわけではない。それはそれでその通りのことだけれど、「そんなに人って割り切ることができるんだろうか、お互いに影響しあっているものなんじゃないだろうか」

心労は重なるばかりなり。…共助や公助が機能しないとはこういう状態のことなんだろう。自助ばかり求められて、公助は自分のことしか考えていないから共助が機能しない。「助けを求め難くなっている」…いや、そもそも助けを求めることができる人がいない職場環境だけれど。…そんな人間関係しか作れてこなかったとは言い切れないと思う。まあ、それなりに助けを求めることはできるだろう。自分を守る生存本能の現れとして「粛々と淡々と自分は自分のやれることの積み重ねを。隙間や狭間を人知れず補う役割を担う」ところに自分の存在意義を見出して「都合のいいように使われがち」だったけれど、その状態を活用すれば。

でも、それって違うだろ。それじゃ駄目だろ。だから、やっぱり「逃げやすい位置に逃げ込んでいた」だけなんだと思えてしまう。自己肯定感を得られない職場環境、いや職場の構造(自分が置かれている位置において)それでも充実感とまではいかなくとも「個の為になら」と思えるものがあれば、なんとかやっていけるもの。「集団において」楽しさややりがいを感じられないのは、本人だけの問題じゃない。集団全体の問題だと捉えないから集団に対する愛着を持てず一体感に欠け、人が離れていくものなんだろう。

それでも問われるのは自己努力?自己責任?個人の問題?

自分自身の為に努力することは必要。「いざっ」という時の為に。

人がお互いに影響しあっているように、「自己努力とはその人がどういった状態に置かれているか」で左右されるもの。だからこそ、公助が必要。自助・共助・公助もまたお互いに影響しあっているものなんだから。

…職場にちゃんと相談ができる人がいないのが辛い……

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