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自分を大切に

「自分なりに前に進もうとする」と周りで困った問題が起きやすいのはなんでだろう。周りだけじゃなくて自分自身にも問題が起きるのはなんでだろう。そんな時に限っていつも以上に隣の芝生が青く見えるのはなんでだろう。こんなことをいつまでも繰り返しているのはなんでだろう。神様って残酷よねって思うのはなんでだろう。「どうして自分ばかりが」と卑屈になってしまうのはなんでだろう。そのくせどことなく楽しんでいる風な感じもあるのはなんでだろう。…逃げているだけか、自分は現実から。それとも、神様がその場に引き留めようとしているのか。どこかの誰かが「次のステップに」送り出そうとしているのか。

「自分なりに前に進もうとする」と些細なことでも「あれやろうか」と踏み出してみると「何かしら」問題が起きる。今まさにそんな時。しかも「自分以外の何か」なことが多い。そうやって「自分以外の何か」に向き合うことを優先させてしまったのが自分の良さでもあり悪さでもあるんだろう。その陰で「自分自身の何か」が起きているにも関わらず。だから、「自分自身の何か」が弾けてしまった時にかなり大変なことになってしまったりする。それは苦労と困難の連続の人生であることを示している。そう、玄人…苦労と困難の人生で、「線を引くべきこと」「線を越えること」をしてこなかったから「自分なりに前に進もうとする」と周りで困った問題が起きやすくそれに合わせざるを得ず、自分自身を「ないがしろ」にしてしまうことになってしまったのだろう。

「当たり前にしてはいけないことを、当たり前にしてしまった」結果がこれか……「人生なんてそんなもんだと割り切ればいいのか、言ってのければいいのか」…それはそれで必要なことだけれど、些細なことの積み重ねが人生を左右させることになる。そんなものは些細なことだ、そんなことはどこにいてもあるようなことだ…としてしまっていいのか、よくないのか。…よくないよくないよくよくなーい(どっちだ)いいわけがない…と「…すべき」的な感じで受け止めしまうから考えすぎてしまいがちなんだろうけれど、どんなことでも些細なことの積み重ねが人生を左右させ、些細なことの積み重ねから綻びが生じるものでしょう。

節目の時期だと実感し自分なりに前に進もうとし始めた矢先に…色々と問題が(苦)周りのことだけじゃない、自分自身のことでも。自分自身のことを最優先させて考えていきたいけれど、それが許され…るような関係性を作り上げてこなかった自分自身の自業自得とされるような環境だから、「人が離れていった」ことに気がついていない環境に長くいすぎたことの代償が、「自分自身に起きた問題」に繋がっていたとしたら。情けなくて涙が出てくりゃ…

それでも何とか冷静でいられるのは、年の功のお陰。年齢を重ねることも悪くないだろう。…これまでの人生が充実したものであれば、心の底からそう思えるのだけれど(多少は思っているということ)

やっぱり辛いね、相談できる人がいないってことは。総合的俯瞰的な立場で助言してくれるような人もいないことは。

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