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止揚の会が企画した吉本隆明・田川建三のシンポジウム「マルクス者とキリスト者の討論」

 以前に以下の記事で三島康男が編集していた『止揚』(止揚の会発行)という雑誌を吉本隆明と交流があった雑誌として紹介した。この雑誌を発行していた止揚の会は雑誌の発行だけでなく、シンポジウムも企画していたようである。その中のシンポジウムに1970年に開催された「マルクス者とキリスト者の討論」がある。

このシンポジウムの報告が、『マルクス者とキリスト者の討論  7・25  ”自立の思想”ティーチイン』(止揚の会, 1970年)として出版されている。以下にこの本を写真で紹介したい。

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このシンポジウムの開催の理由は、この本のまえがきに主催者である三島康男によって以下のように述べられている。

(前略)今日の思想的情況において、最も普遍的であり中心的な問題はなんといっても「人間論」と「共同体」の問題である。この問題をどこまでつきつめているかということによって、カオス的情況のなかで自己と思想に責任をもった生き方が許されるのではないかと思う。この密接不可分の課題を曖昧にしないで徹底的に問い切っているかどうか、ということに思想の生命がかけられているともいえよう。(中略)また、われわれはキリスト教にも批判的に関わっているが、なんだ観念的なことをやっている、といってもらいたくない。(中略)われわれの大きなテーマは右にあげた「人間論」と「共同体」の問題であるが、そのひとつの媒介となるのがマルクス主義とキリスト教である。その止揚を目指して思想的な営みをするのが「止揚の会」である。(後略)

この本によると、三島は西荻南教会の牧師であったようで既存のキリスト教会に批判的であったことが分かる。三島の「キリスト教の止揚と自立」という文章では止揚の会に関して、以下のように述べられている。

(前略)この会はいちおう止揚の会、それから西荻南教会ということでございます。それで、止揚の会というのはこの前吉本さんにきていただいた四・二九の集会のときから発足したわけで、それからしばらくの間は西荻南教会のなかにあったわけですが、いろんな点を考えて最近街にでているわけです。それから西荻南教会というのはキリスト者、とくに教団の関係の人にもあまり知られていないんじゃあないかということがひとつあるわけです。西荻教会ってなんだ。年鑑みてもでてこないじゃあないかというそういうことなんです。(中略)東京教区では新しい教会をつくる場合に、半径一キロ以内に既成教会があれば、そこの牧師の同意がいるということです。しかし、わたしの場合には、”伝道はいいだろうけど、教会形成がどうもまずくなる”とか、それからこれはわたしの先輩ですけれど、たいへんなさけないんだけれど、”挨拶がおそい”なんてことで拒否され、四年間の現在にいたっているわけですが、しかし、なぜわたしがその二つのことをしゃべったかというと、そういう発言しかでてこないというところに、現代におけるキリスト教自体の非常に危機的なものがあると、わたしが理論的にも考えられるようになったからです。(後略)

止揚の会は吉本を招いた別のシンポジウムがきっかけで結成されたようである。西荻南教会やこの教会の牧師であった三島は既存のキリスト教会の制度に批判的であり、この点で吉本の思想に共感していたのだろう。

 このシンポジウムでは、吉本とキリスト教研究者・田川健三が同席している。田川は『思想の危険について』(インパクト出版会, 1987年)などで吉本を批判していた印象が強かったので、この同席は意外に思った。余談だが、吉本はこの田川の批判に対する批判を以下の講演で行っている。

 シンポジウムの内容に関してだが、吉本の『共同幻想論』に関する三島の疑問に吉本が応答、田川、キリスト教研究者・高尾利数が補足するという形をとっている。その中で吉本は「宗教と自立」という講演を行っているが、この講演は以下のウェブページから閲覧できる。収録書誌には『マルクス者とキリスト者の討論  7・25  ”自立の思想”ティーチイン』は載っていないが、この本は市販されず会員への直接購読という形をとっていたからであろう。


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