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『共同幻想論』の前提となる吉本隆明のマルクス理解

 今月、NHKのEテレの番組「100分de名著」で吉本隆明の『共同幻想論』が放送されている。この番組と関連テキストでは、『共同幻想論』が分かりやすく解説されているが、『共同幻想論』の前提になっている吉本隆明のマルクス理解に関してあまり説明がなされていないように感じたので、この記事で補完していきたい。

 「100分de名著」の関連テキストでも述べられているように、吉本は『共同幻想論』の着想をマルクスのテキストから得た。直接的には、エンゲルスや彼を継承したロシア・マルクス主義(注1)の唯物的な(現実の経済的な関係性を重視した)国家論を批判する形で『共同幻想論』は提出されているが、彼らと吉本の間にはマルクス理解をめぐる根本的な違いがある。たとえば、吉本は自分のマルクス理解を以下のように述べている。

(前略)経済的なカテゴリーっていうものは、どういうふうにマルクスのなかで考えているかといいますと、経済的な範疇の考察っていうものは、あるいは、その理論的、科学的解明っていうものは、もしそれを経済的な範疇の内部で、つまり、内部構造を展開する場合には、幻想性の問題、つまり、国家の問題っていうものを、あるいは、宗教の問題、法律の問題、あるいは、芸術の問題、そういう幻想性の問題っていうものは、捨象することができるんだっていうような位相で、経済的範疇が考えられているっていうふうに理解しています。
つまり、マルクスはけっして、経済的範疇こそはすべてであると、つまり、人類史を決定する、人類史の動向を決定するすべてであるっていうふうに考えていないっていうふうに理解しております。
だから、もし、経済的範疇っていうものを、第一義的な、人類史を動かしていく動因だっていうふうに考える場合には、考えるとして、それを解明していく場合には、幻想的な範疇っていうものは、遠のけることができる、つまり、捨象することができるっていうような、そういう位相で、そういう抽象的な、抽象性の位相で、経済的な範疇っていうものが考えられているっていうふうに、理解しております。
それゆえ、いわゆる弁証法というものと、史的唯物論っていうものを、それは、1920年代以降のロシアで発展されてきたものですけど、そういうものは、だいたい前提において、経済的範疇を全範疇のように考えて展開されたものであるから、まったく無効であるっていうふうに、ぼくは考えております。
だから、そういう点が、あらかじめ、いわゆるマルクス主義者諸君っていうものと、ぼくの言葉でいえば、ロシア・マルクス主義者っていうわけですけど、それと全く違うっていうこと、そういうことを、とにかく、はじめに申し上げておきたいと思います。(後略)
(講演「現代とマルクス」(1967年)より引用。筆者が重要であると考える部分を太字にした。)

簡単にまとめると、マルクスは、経済的な関係性で歴史のすべてを説明できるとは考えていたのではなく、幻想的な関係性(目に見えない精神世界の関係性)を排除するという限定的な条件のもとで、経済的な関係性のみによって歴史を説明できると考えていたとなるだろう。ここで重要なのは、吉本が「経済的な領域」で説明できる範囲は限定的であると考えていたことである。マルクスは「幻想的な領域」の重要性に気づいていたものの、手がつけられていなかった。1980年に出版された『共同幻想論』の思想的な背景の詳細を語った『世界認識の方法』よると、マルクスが手をつけなかったこの「幻想的な領域」を整理したのが吉本の『共同幻想論』である。

 話は変わってしまうが、ここでひとつ素朴な疑問を提示したい。なぜ現実の世界とは「独立した幻想的な領域」が発生するのだろうか?この疑問に応えるためには、マルクスの「疎外」に対する吉本の理解を確認する必要がある。私は、この「疎外」に対する理解の違いこそ、吉本と同時代のロシア・マルクス主義を分ける重要なポイントになると考える。ここでは、吉本のマルクスに関するテキストを引用しながら吉本の理解を確認してみたい。

 マルクスの「疎外」は一般的には経済的なことばとして使用されることが多い。たとえば、自分のした仕事の成果が自分から切り離され、自分の知らないところで評価・値付けされてしまうような意味で使用される。吉本はこの意味での「疎外」を以下のように表現している。

(前略)マルクスなどは「疎外」をふたつぐらいの意味で使っています。ひとつは人間というものと人間がつくりだしたもの、つまり人間が自然に存在するものに手を加えることによってできあがったもの、たとえば商品でも何でもモノがいったんできあがってしまうと、それをつくった人間に対して対立するに至る、人間を押しつぶすようになるに至る。つまり、本来は人間がつくったものであるにもかかわらず、モノ自体がいったんつくられてしまうと、人間を押しつぶすように作用していく。そういう意味で「疎外」という概念を使っています。(後略) (講演「芸術と疎外」(1964年)より引用。筆者が重要であると考える部分を太字にした。)

これがマルクスの考えた「疎外」に対する一般的な理解であるが、吉本は「疎外」を経済的な領域のものとして考えなかった。吉本は、「疎外」をもっと根本的なマルクスの「自然哲学」を基礎づけるものとして考えていた。吉本の理解している「自然哲学」における「疎外」とは『カール・マルクス』では次のように述べられている。

(前略)<疎外>あるいは、<自己疎外>というかれの概念は、その<自然>哲学のカテゴリーから発生したもので、じかに市民社会の構造としての経済的なカテゴリーから生まれたものではないことに注意すべきである。全自然を、じぶんの<非有機的肉体>(自然の人間化)となしうるという人間だけがもつようになった特性は、逆に、全人間を、自然の<有機的自然>たらしめるという反作用なしには不可能であり、この全自然と全人間の相互のからみ合いを、マルクスは<自然>哲学のカテゴリーで、<疎外>または<自己疎外>とかんがえていたのである。(後略)(筆者が重要であると考える部分を太字にした。)

人間が外部に何らかのはたらきかけを行うと、外部からも人間にはたらきかける力があり、人間を「外部化」しようとする。これが「疎外」である。簡単に言うと、上記の引用部分で吉本の言いたいことはこのようになると考える。人間は外部にはたらきかけることなしには、生存できないし、存在することができない。したがって、人間は様々な場面で「疎外」を経験し続けることになる。マルクスの「自然哲学」における「疎外」を吉本はこのように理解していた。

 このマルクスの「自然哲学」における「疎外」の考え方を経済社会に適応することで、私たちが一般的にイメージする経済的な「疎外」として表象する。また、この関係が「幻想的な領域」に適応されることで、「幻想的な領域」が私たちから「疎外」され独立した世界として出現する。『カール・マルクス』によると、「幻想的な領域」が人間の外部に独立して出現するという考え方は、フォイエルバッハの宗教論の影響があるという。フォイエルバッハは、宗教や芸術の意識を分析することで、人間が幻想性(人間の内面の領域)を自分の中から外化すると考えていた。マルクスは、この考え方を宗教、芸術だけでなく、法律、国家などにまで拡張した。この拡張により、法律や国家を現実世界から独立した「共同幻想」として扱うことが可能になった。

 以上に簡単に確認してきたように、吉本は、マルクスの「疎外」を経済的な考え方でなく、より根源的な自然哲学的な考え方であると読みこむことで、「幻想的な領域」を「独立した」ものとして分析することを可能にした。この読み方の違いが、吉本とロシア・マルクス主義の大きな違いであると考える。吉本は単に彼らの国家論を批判したのではなく、マルクスの理解の仕方に対して疑問を提起したのだ。

 ところで、吉本がマルクスの「疎外」を「自然哲学」として読んだのは、当時のヨーロッパの思想的な背景が理由にあるとも考えられる。エンゲルスやロシア・マルクス主義はマルクスの経済的な法則を現実社会に適応していたが、吉本によると、彼の活動していた当時にも単純に適応することができなくなっていると下記のように疑問を提起している。

(前略)マルクスのいう自然主義―人間主義というものが、つまり、自然的存在というもの、あるいは、自然に対する人間の存在というものと、人間が自己自身の意識性に対して存在しているというような存在というものとの乖離といいますか、距離といいますか、あるいは、構造といいますか、それがようするに、19世紀と現在と比べて見ると、非常に複雑多岐に渡って煩雑になっていることがあると思うのです。(後略)(講演「芸術と疎外」(1964年)より引用。筆者が重要であると考える部分を太字にした。)

分かりにくいかもしれないが、「自然や人間の存在」と「意識性に対して存在しているというような存在」が区別されるようになったと述べられている。これは、「ものそのもの」と「人間の認識したもの」を明確に区別した現象学的な思想のことを指していると思われる。上に引用した『世界認識の方法』では次のように述べられている。

(前略)マルクスの確実に認めうる<歴史>観―経済カテゴリーだけは<自然史>的に扱えるということと、すべての人間の現実的具体的活動がそこに意志的に集約するなら<歴史>は意志的に変わりうる―は、そのままでは通用しなくなります。(中略)<対象>自体と人間が対象としたときのその<対象>とは、まるでちがうものだということを現象学は発見したのです。それ以後、思想は大なり小なりそれを考慮にいれなくては、マルクスを受けいれることができなくなってしまいました(中略))だからマルクスのなかでは、初期の<自己疎外>概念しか受けいれられないことになるのです。(後略)(筆者が重要であると考える部分を太字にした。)

要するに、現象学が「ものそのもの」と「人間の認識したもの」が異なると提起したため、今まで現実世界を包括的に扱うことのできたマルクスの経済的な法則で扱えない領域が出てきてしまった。現象学の提起したこの問題をのりこえずには、マルクスの思想は簡単に受け入れられなくなってしまった。たとえば、吉本によると、メルロ=ポンティはマルクスから受け入れられるのは実存主義的要素だけであると述べたという。マルクスの思想の中で現象学の問題をのりこえることのできるのは「自然哲学的な疎外」だけであったと吉本は考えたのだろう。吉本はマルクスの「疎外」を「自然哲学」の考えとして読んだのは、当時のマルクス主義を批判するためだけでなく、現象学の問題提起を乗り越えるためでもあった。

 『共同幻想論』は独創的であるとしばしば言われることがあるが、上記に説明してきたように当時のヨーロッパ思想に関するテキストを読みこむことによって形成されたことが分かる。吉本自身も思想に関して次のように述べている。

(前略)紙一重を超えることが思想家の生命であり、もともとひょうたんから駒がでるような独創性などは、この世にはありえないのである。(後略)(『カール・マルクス』より)

 最後になるが、ここで紹介した吉本のマルクスやヨーロッパ思想の理解が当時、もしくは現在の基準でどのような位置にあるかは残念ながら私には判断できず、その能力もない。私は、思想家の理解を外部の基準(当時や現在にかかわらず)で判断するのでなく、その人がある思想やテキストをどのように読み理解したのかの方が重要であると考えるため、吉本の理解の正否を外部の基準で判断することは、私の現在の関心の外にある。

(追記1)『共同幻想論』に関連して以前下記の記事を投稿したので、参考までに紹介しておく。

(注1)吉本はマルクスの思想とエンゲルス以降に展開されたマルクス主義の思想を明確に区別していたので、このような表記とした。

<主な参考文献>
『世界認識の方法』 中央公論社 1980年
『改訂新版 共同幻想論』 角川ソフィア文庫 1982年
『カール・マルクス』(引用元は『吉本隆明全集撰4 思想家』 大和書房 1987年より)
『NHK 100分 de 名著 吉本隆明 共同幻想論』先崎彰容 NHK出版 2020年

以下は、ほぼ日刊イトイ新聞の「吉本隆明の183講演」より引用

「芸術と疎外」 1964年
「現代とマルクス」 1967年 

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