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橋川文三『歴史と体験 近代日本精神史覚書』についてのメモ④―鶴見俊輔の「普遍」

 以下の記事で紹介した紹介したように、橋川文三『歴史と体験 近代日本精神史覚書』(春秋社、1964年)の読書会を行ったが、その際に橋川文三や同時代に活動していた思想家にとって「普遍」についてどう考えていたのか?という話題が出た。たとえば、橋川の師でもあった丸山眞男は「普遍」のことを「イデー(理論・理念)」であると定義している。その中で鶴見俊輔は「普遍」のことをどのように考えていたのだろうか?

私が言うまでもないかもしれないが、鶴見は丸山が「普遍」と考えているような理念・理論という完成されたものを目指しておらず、未完であることを重視していた。その中で鶴見が目指していた「普遍」とは理論・理念のような高度なものではなく、鶴見が度々理想として語っていた「人を殺したくない」「戦争したくない」などの素朴な感覚に根差すものだったのではないだろうか。抽象的な理念・理論でなくとも、素朴であるからこそ多くの人々に通じる「普遍」を獲得できると鶴見は考えていたのだろうか。

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