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「神皇正統記に現はれたる政治観」丸山眞男に関するメモ

 『日本の思想』丸山眞男(岩波新書、1961年)を読み直すにあたって丸山の他のテキストも同時に読んでみようと考えて最近『戦中と戦後の間』(みすず書房、1976年)を読み進めている。この本は書名の通り丸山がアジア・太平洋戦争中、戦後に書いた文章が収録されている。この中に「神皇正統記に現はれたる政治観」という1942年に発表された文章があるが、『日本の思想』にもつながると思われる論点が含まれていておもしろかった。この文章と『日本の思想』につながっていると私が考えた部分を中心に紹介していきたい。

 「神皇正統記に現はれたる政治観」は、北畠親房が著した『神皇正統記』の分析を通して北畠の思想を検討した文章であるが、丸山によれば『神皇正統記』は以下のような性格であるという。

(前略)ここで特に注意せねばならぬのは本書(『神皇正統記』)が親房の政治的闘争の渦中に書かれたといふ事から必然的に担っている政治的性格である。(中略)敵の反省を促し、或は味方に指針を与ふべくものされた、本来的に「行動の書」であった。(中略)哲学といふも、現実の成熟を俟って之との融合フェーゼヌンクを試みるミネルヴァの梟的意味での哲学とはまさに反対に、「末世」としての現実に鋭く対立し、是を改変せんとする主体的意思に裏づけられている。さうして、この様な本書の基本的特質が最も顕著に現されているのがその政治理論なのである。(後略)

ここで丸山は『神皇正統記』を机上の空論として書かれたものでなく、「状況を改変せんとする主体的意思に裏づけられている」テキストであると述べている。丸山によれば、北畠は「正直」を最高の理念として歴史的現実に立ち向かっているという。北畠は、建武中興の後の有力武士の不当な昇進を指摘し、武士だけでなくの中興政治の失敗を政治的指導層の公家側をも正直(無私の精神)の観点から批判している。そして、「「正直」の精神が政治的指導の理念となった場合、(中略)「正直」によって主体的に制約された政治は、必ずや客観的には、民衆のための政治として発現すべき筈である」と述べている。

 丸山は北畠のことを近代的な思考方法を身に付けていた思想家であると考えていたと思われるが、どのような点で北畠は近代的な思考方法を持つ人物であったのだろうか。『戦中と戦後の間』に収録されている「政治学に於ける国家の概念」(1936年)では社会科学的な思考方法について以下のように述べられている。

(前略)社会科学的なまた社会哲学的な思惟は、例へば個々の理論が論理的自己運動に於て次々と変遷するといふ如き観念形成イーデンビルドウングより観念形成への連続ではなく、寧ろ社会の運動の歴史そのものが継続的な潮流をなし、それから思惟の諸体系が浮び上りそれを通じて諸体系が相互に関連する(後略)

簡単に言い換えると、具体的な社会からは抽象的な思想・理念が取り出すことができ、その関係性(たとえば、現実世界との関係性など)を検討することが社会科学的な思惟であるということだと思われる。具体的な現実/抽象的な思想・理念を分けて両者の関係性を考えることが近代的な社会科学的な思考方法を身に付けている人物であるとも言えるだろう。丸山は、北畠が「正直」という理念的な立場から武家だけでなく公家をも批判している点に近代的な思考方法を見出したのだろう。

 この点は丸山によって後年に展開される天皇制の正統性をめぐる問題にも関連するかもしれない。丸山の晩年に鶴見俊輔などの雑誌『思想の科学』のメンバーと行われた座談会では、天皇制の正統性をめぐって以下のように語っている。

(前略)大日本帝国憲法の「前文」―告文と憲法発布勅語ですね―、そこをご覧になれば、ちゃんと書いてあります。だからこれを神勅的正統性というんです。その神勅的正統性というのは、実は万世一系的正統性です。これには二つあります。厳密に言えば、ただ万世一系というだけなら、途中でたとえば王朝が代わっても、それがずーっと続けば万世一系でしょ。これはウェーバー的に言うと”伝統的正統性”になってしまうわけです。だからただ万世一系と言っちゃいけない。つまり、天照大神の子孫が、というのが大事なんだ。帝国憲法法第一条、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」というのが、それです。あそこでまず大日本帝国の正統性を示している。(後略)(『自由について 七つの問答』丸山眞男(編集グループ<SURE>、2005年)座談は1984年に実施)

丸山によれば、天皇家による支配の正統性は万世一系という血筋によって支配の正統性が担保されている。一方で上述したように、北畠は天皇家の支配の正統性を血筋でなく「正直」という理念的な点に求めており、これは現実の天皇を中心とした政治制度をも超えたところにあった。このような理解が後年の丸山の正統性をめぐる研究につながっているのだろう。

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