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橋川文三『歴史と体験 近代日本精神史覚書』についてのメモ③-橋川文三の問題意識

 先日、橋川文三『歴史と体験 近代日本精神史覚書』(春秋社、1964年)の読書会を行ったが、橋川の思想について様々な意見が出て非常におもしろかった。以下に読書会当日配布した資料を公開したい。

2. 本書の内容
2-1. 本書について
1960年前後に執筆された文章を収録。
Ⅰは戦争体験について、Ⅱは1930年代の思想について
Ⅰのテーマ・・・戦争体験の普遍化についての問題
Ⅱのテーマ・・・個人の体験と普遍的な思想、理論との関係性の問題

2-2. 気になった点
ある往復書簡―吉本隆明に
P4 前の時代との断絶
P5 世代的な断絶というだけではない歴史意識の問題
P6 経験の普遍化(≒藤田省三、鶴見俊輔)
「戦争体験」論の意味
P8 石原慎太郎の戦争体験論への固執への批判 回顧、ナルシズムvsメタ・ヒストリック(歴史意識)
P9 責任意識を生む歴史意識、それを成立させるきっかけとなる戦争体験
P14 実感に属する世代意識、歴史的存在としての世代意識
⇔本来的世代意識?
P15 戦争体験論が、わが国の思想伝統において、歴史意識の形成・変革のための唯一の機会である。
P17 開国、維新は歴史意識を形成しなかった。
理由① 開国の影響力が低い。すでに幕府の支配体制が弱体化していた。
理由② 上からの近代化。
P19 普遍者の存在。普遍と個人、理論と実践の関係性。(≒丸山眞男)
P24 戦争体験論を思想問題として考える。

家の戦争体験
P26 新しい世代の戦争体験論
P28 疎開という新しいキーワード
戦争体験の風化
P32 石原慎太郎の戦争体験論の批判
抵抗責任者の責任意識
P39 心情における抵抗
井上光春晴『虚構のクレーン』をめぐって
P44 アジア主義
ぼくらの中の生と死
P51 ロイヤリティの問題
「戦争体験論」の私的総括―歴史批判の一方法として
P61 戦争体験論は記録する技術でなく歴史批判の方法
P62 マルクス主義者の戦争体験、柳田民俗学
P63 内面に迫る有効な方法としての戦争体験論
Ⅱ ※この章のテーマは自己、個人と普遍、思想の関係性を論じている。
昭和十年代の思想
P70 マルクス主義の思想には自我への食い込みがなかったという欠点
→1930年代の転向の原因
P72 市民社会論との接続
P72~P73 日本浪漫派の自己
P75 マルクス主義の思想的な意味→科学的な見方の導入
P78 マルクス主義の影響 例:昭和研究会
日本ロマン派の諸問題
P84 竹内好の日本ロマン派評価
→日本ロマン派は正当な批判で倒されたわけではない。
P88 イロニイ
P95 転向を変革のイロニイとの読み替え
P105 日本ロマン派の思想的な位置付け
テロリズム信仰の精神史
P128 主体の不在、求道者としてのテロリスト
P140 保守思想が学んだことは?
『葉隠』と『わだつみ』
P149 個人と社会の関係性を記述する。
「北一輝著作集」について
P152 北一輝の継承
3. 所感
・ここまで一読して丸山眞男の影響がかなり強いと思った。主体と普遍の関係性、実践と理論の関係性への注目。(≒『日本の思想』)
・Ⅰは戦争体験論の普遍化という関心が全面的に出ている。歴史批判の方法という説明があったが、主体性の形成という点を重視しているのではないかと考えた。主体(個体)と歴史(共同体、普遍)の関係性ということであろうか?体験に固執することとはまた異なる。
・鶴見俊輔も戦争体験の普遍化を目指していたというが、彼の個別の事例をまとめた「転向研究」はどのような位置付けになるのか。
・Ⅱに掲載された文章は保守思想の評価と批判が混じっているように読める。
・イロニイの理解が難しい。シュレーゲルが使用していた「自己創造のプロセス」ではなく、別の多様な意味があるのではないかと読める。

 特に興味深かったのは、参加者の方から橋川の歴史に対する問題意識は自分の体験を社会、過去ー現在ー未来という時間の中に位置付けるという点であるとご教示いただいたことであった。橋川は個別的なテーマを論じているが、その中に流れる一貫した問題関心を持っていたことを理解できた。

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