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『俚俗と民譚』に掲載された風俗研究者・平井蒼太「鳥取県西伯郡外江村 盆行事聞書」②

 前回の記事で紹介した『俚俗と民譚』第1巻第8号(1932年)に掲載された平井蒼太の「鳥取県西伯郡外江村 盆行事聞書」を引き続き紹介したい。以下に続きを引用する。なお、一部を現代仮名遣いにあらためて、必要に応じて句読点を追加した。元の文章に強調点が振られていた部分は太字とした。

 盆踊は、一定時日場所で催される譯ではないが、それが一定時日一定場所に自然に集って行はれるのは、習慣の為であるとはいへ、「宿」の力が大いに働いている。
 「宿」とは、一区内の男又は女の世話好きの人が、始めは親しい若者(男又は女)を招いて話相手になっている内、何時の間にか同年輩の同性者の寄り集まる家となって来る。(やがてその家で、駄菓子や酒類を商ふやうになることもあるが、こんなことは極く珍しいことである。)
 こうした夜が重なるに連れて、双方「宿」の観念を持つやうになるもので、だから「宿」は特定されたものではなく、集って来る同年輩の人達の「宿」となるだけであるから、従って各区各様の「宿」がある譯である。年齢十台の若者「宿」があれば、二十台のそれ、三十台のそれ、四十台のそれと、こうして老人連中にも矢張り「宿」(若い頃の宿の籍)があるのだが、この「宿」は、対異性宿的に見て、必要とする所のものである。
 踊りはこの「宿」で揃って練習するのであるが、大きな「宿」では多数の若者が集って来る譯だから、これに近所の者(宿に籍のない)を誘って、「宿」の庭前で催すこともあるが、これは極めて珍らしいことに属する。昨夏、娘を死なせたある家の庭前で、若者を集めて踊を始めたこともあったが、その娘が大変踊好きであった為、追悼の意で行はれたものであるらしい。しかしこんなことは、殆んど例外である。
 若者「宿は、」「こめらべ宿」(若い女の宿である)を誘い又はからかひなどして、寺の境内に集り、そこで踊が始められる。初めは二三人で踊始めるが、次第にその数を増して境内に溢れるやうになり、幾つもの円を描きながら熱中するに至る。
 場内の中央に大太鼓を持ち出し、叩く人音頭を取る人などは、何日が折紙を付けられた腕自慢声自慢の人達が、交代して絶えない。
 夜十時頃から始まり、十一時十二時になると真剣になり、夜半に至って狂熱し、夜明け前に解散する習いであるが、露骨な猥芸唄の連続にも拘わらず、踊る者観る者(夜半まで観る者はない)共に真面目である。
 夜半には踊る若者達が交互に観物したり、踊ったりするのであるが、満月前後のこととて、阿弥陀堂前の踊場は月明皎々としてゐるが、本堂阿弥陀堂などの軒の下は暗く、又公堂(畳敷で戸に鍵はあるが体裁だけのもの)などがその休憩場となる。
 駐在巡査は、村人に悪まれるやうでは仕事は仕難い点もあり、盆のことでもあり、臨席するやうなことは絶体にないので、男装した女を、男装のままの男が阿弥陀堂の軒下に誘ひ、充分にとろけるなどのことは珍しくない。盆の済んだ后、目撃者に摘発され、暇の多い村人の話題に上って、居たたまらず他国へ働きに飛び出す者も間々ある。
 盆踊の夜は許された遊び放第であるから、それを利用した変人同志が、茣蓙風呂敷などを持ち出して、芋畑桑畑でとろける連中もあるが、一般にさうした無恥な行為は減少して行きつつある。
 若者でも多少智識階級に属するものは、全然踊を知らないし、又観物するやうなこともない。(昭和四年一月遠藤三郎氏に拠る。)

盆踊りという行事の報告であるが、人々の性についての民俗にも目を向けているのが興味深い。平井の発行していた『麻尼亜』には性に関する民俗の紹介が行われているが、他誌にも性に関する民俗を報告していたようである。

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